大久野島には廃墟もあった! [私の旅物語]
「うさぎ島」として観光客が訪れている「大久野島」は、とても小さな島で民家は見当たらず、施設の従業員の方が通っているという印象でした。
毒ガス資料館です。
大きな施設は二つしかありませんと昨日のブログに書きましたが、その施設の間に「大久野島毒ガス資料館」がありました。
この島では太平洋戦争で使用するための毒ガスが陸軍によって密造されていたのだそうです。
資料館の横に展示されていた陶磁器製毒ガス製造器具。
予想外のことでただただビックリしました。
フェリー乗り場近くには廃墟もありました
毒ガス製造のために電力が必要だったのです。
すっかり廃墟となっている発電施設。
横の小さな箱型の建物は何に使われていたのでしょうか?
廃墟の近くにもうさぎたちがいました。
戦後の歴史を残す廃墟の近くを自由に動き回るうさぎが印象的でした。
のどかな瀬戸内の小さな島で密かに作られていた毒ガス。
毒ガスの資料などは戦後すぐに陸軍によって海中に投棄され、その後進駐軍が島全体を接収し無毒化したそうですが、訪れる人たちの多くは可愛いうさぎと過ごすだけで島の旅を終えるのではないかと想像しました。
原爆ドームでも毒ガス資料館でも関心を持たれている海外の方を見かけました。
知らないことがまだまだあることを自覚しなければならないと感じました。
毒ガス資料館です。
大きな施設は二つしかありませんと昨日のブログに書きましたが、その施設の間に「大久野島毒ガス資料館」がありました。
この島では太平洋戦争で使用するための毒ガスが陸軍によって密造されていたのだそうです。
資料館の横に展示されていた陶磁器製毒ガス製造器具。
予想外のことでただただビックリしました。
フェリー乗り場近くには廃墟もありました
毒ガス製造のために電力が必要だったのです。
すっかり廃墟となっている発電施設。
横の小さな箱型の建物は何に使われていたのでしょうか?
廃墟の近くにもうさぎたちがいました。
戦後の歴史を残す廃墟の近くを自由に動き回るうさぎが印象的でした。
のどかな瀬戸内の小さな島で密かに作られていた毒ガス。
毒ガスの資料などは戦後すぐに陸軍によって海中に投棄され、その後進駐軍が島全体を接収し無毒化したそうですが、訪れる人たちの多くは可愛いうさぎと過ごすだけで島の旅を終えるのではないかと想像しました。
原爆ドームでも毒ガス資料館でも関心を持たれている海外の方を見かけました。
知らないことがまだまだあることを自覚しなければならないと感じました。