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ドキュメンタリー映画 『福島は語る』 を見る    [私の映画観]

東日本大震災から8年になろうとしています。
東京オリンピックに続き、大阪万博も決まって、まるで東日本大震災から目を逸らすように仕向けられているみたいと感じています。

169 東日本大震災.jpg

2012年11月に、震災後すぐに映画の上映を再開した「みやこシネマリーン」(岩手県宮古市)を撮影するために東北を訪ねた時に撮った写真です。
1年8ヶ月経っても瓦礫が撤去されただけで痛ましい姿でした。

家の土台だけ残っている姿を目の当たりにして、「どこか撮影をしますか?」「(車を)降りますか?」と問われても、「いいえ」と答えるのが精一杯でした。
残された土台から、ここは玄関、ここは台所、ここはお風呂場と想像できて、そこに暮らしがあったこと、家族を、笑顔を感じると涙が溢れそうで、それを堪えるのが精一杯でした。
今の私には申し訳ないけれど福島は撮れないと思いました。

161 福島は語る.jpg

2月5日、被災した方々の言葉を紡いだ作品 『福島は語る』 を見ました。
100人を超える方々にカメラを向け話を聞いた土井敏郎監督は、14人の方の“福島を語る言葉”を紡いで170分の作品を誕生させました。

土井監督のお話では最初に(14人の話を)繋いだ時は5時間を超えていたそうで、半分近い170分に短くされる作業はそれはそれは大変だっただことでしょう。

「短くする中で、そのままの人が一人います」とのこと。一番長く語られる杉下初男さん。
杉下さんの表情は途中で全く別人のようになります。ずっと心の奥に抑え込んできた、面と向かうことを避けてきた深い深い悲しい出来事に、いつか、どこかで、きちんと向き合わなければならないと思っていたことに、立ち向かう姿が写っています。

カメラがあるという特殊性もあるけれど、人と人との出会いなのだろうと思いました。自身の心の奥底を覗くという行為は、だれもがする、誰もができることではない。そこに、土井監督とカメラが力を貸したのです。
杉下さんは石材店を営んでいました。石に雨が当たるとその水分が石の中に浸み込んでゆく。放射能も浸み込んでゆく。材料として仕入れていた石は処分もできないまま野ざらしになっていました。その石に冷たい雨が降り注ぐ。
杉下さんと土井さんがこのタイミングで出会ったからこそ紡がれた言葉の塊りが、静かに多くのことを語りかけてくる作品でした。14人の言葉の向こうにたくさんの福島が見えてきます。

2019年3月2日(土)~ K's cinema
2019年3月9日(土)~ ユーロスペース
など全国一斉公開されます。

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記録映画『東京オリンピック』を見る [私の映画観]

なんとラッキーなことか! と思いました。
今日は迷った末に (いつも迷っている[わーい(嬉しい顔)]) ヨーガの定例研修会に出掛けました。
場所は川口リリア。

661 川口.jpg

梅雨明けと共にやってきた猛暑!
関東は今日もカラカラ天気でした。

662 東京オリンピック.jpg

そして、入口で見つけたポスター。
市川昆監督作品『東京オリンピック』の記録映画の上映があります!
しかも定例研修が終わった後、16:30~とのこと。

663 リリア.jpg

リリアの大ホールも、音楽ホールも体験済みだけれど、1階にこのようなステキなホールがあるなんて知りませんでした。
床はフラット。照明設備あり。

鑑賞するためには事前予約が必要だったようですが、3回上映の最後の回ということもあり、ハガキを持っている方の入場後ならば・・・と特別に見ることをOKしてくださいました。
感謝! 感激!

総天然色となっていましたが色はほとんど赤になっていて、前半では中央に大きな傷が入っていましたが、噂を聞くだけで見たことのない作品を見ることができました。

迫力のある映像で、当時の雰囲気も活写している、単なる「東京オリンピック」の記録ではありませんでした。
東洋の魔女と言われ優勝を果たした女子バレーでは優勝の瞬間の大松監督の深い表情が印象的でした。勝って喜ぶ表情より深くたたずむ姿が度々映し出されました。
体操男子では鉄棒の演技を真下から撮っていて、フィルムの時代にどうやって撮ったのかなぁと思ったり、3時間の大作をたっぷり堪能しました。
「完」の文字が写って上映終了となりましたが、クレジットを見たいなぁ~としみじみ思いました。

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7時半を過ぎて外に出たのに、日が長い!
深い闇が始まる前の夕暮れの美しい空を一瞬見ることができました。
感謝!

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『花筐』を見る!    [私の映画観]

大林宣彦監督作品『花筐 HANAGATAKI』を、やっと見ることができました。
『花筐』のクランクイン直前に肺がんのステージ4で余命3ヶ月の宣告を受けたという大林監督。
作品の完成が危ぶまれる中、見事に完成させただけでなく、上映館に出向いて全国各地で舞台挨拶をされるなど驚異の回復をされています。

086 花筐.jpg

1941年、アムステルダムに暮らす両親の元を離れて、佐賀県唐津に暮らす叔母(常盤貴子)の元にやってきた17歳の青年榊原俊介の新学期から『花筐 HANAGATAMI』は始まります。
原作は檀一雄の純文学「花筐」。
檀一雄も、大林宣彦監督も、魅せられた「唐津」を舞台にしています。

大林監督はデビュー作の『HOUSE/ハウス』より以前に脚本を完成させていたそうで、その分思いの詰まった作品で、その思いにねじ伏せられるような力作でした。
キネマ旬報日本映画ベストテンで2位になり、毎日映画コンクール「日本映画大賞」を受賞するなどの話題作です。見に行こうと思いつつ、なかなか実現できずにいて、今日は雪模様のなか渋谷の「ユーロスペース」に行ってきました。
いろいろな技法を駆使して丁寧に作られた大林ワールド。私自身は戦後生まれだけれど、大林監督のメッセージが強く伝わってきました。

新薬との相性が良くどんどん肺癌が小さくなったそうで、1月9日の誕生日(80歳)を迎えてからは3週間に一度の検査入院となり、関西の舞台挨拶に出掛けるなどお元気に過ごされています。

日本で一番古い映画館と言われている「高田世界館」で、大林監督とパートナーの恭子さんとお目にかかったのは2015年3月の北陸新幹線開通記念のイベントの時でした。
「高田世界館」はNPO法人化され新たなスタートを切り、よみがえろうとしていて、私はそのイベントの模様も撮影させていただいています。

まだまだ、映画作りへの意欲をお持ちの大林監督。
どうぞ、映画製作という特別な“良薬”を使ってお元気なられてください。

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ドキュメンタリー映画 『でんげい』 を見る    [私の映画観]

「日本の劇場で上映されるなんて思ってもいなかった」と、チョン・ソンホ監督は上映後の舞台挨拶でおっしゃっていた。
撮影したのは大阪にある「建国高校伝統芸術部」略して「でんげい」の全国高校総合文化祭出場に向けて奮闘する様子。
日本での上映を果たしたのは「キノ・キネマ」の岸野令子さん。

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「一人一人の成長を記録したかった」とも、監督はおっしゃった。
韓国釜山の放送局MBCのプロデューサーであるチョン・ソンホ監督は、大阪の高校で韓国の伝統芸能を情熱をもって学んでいる姿を本国の人たちに伝えたいと思ったのだそうだ。
そのくらい「でんげい」のメンバーたちの練習は厳しく、強い気持ちがなければ続けられない。

上映後の質疑応答で「チアダンの天海祐希より怖い」と評価された指導者の怒声に、見ている私も緊張してしまった。それほど迫力がある。
でも、いよいよ本番を迎える前日の通し稽古を見守っている目には涙が・・・。
「大丈夫! あなたたちならできる!」と、笑顔を見せる。

太鼓や三味線、踊りなど日本の伝統芸術が披露される中で、韓国の伝統芸術を披露した「でんげい」は3位入賞を果たす。
前日の通し稽古で良い結果が出ることが私には想像できた。
どう、最後を終わらせるのか、会場の茨城へバスで向かう辺りから興味津々で見ていました。

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大会を終えて、土手に並んで雑談をしているシーンがある。
「勉強でもしようかな・・・」という呟き。
ここで終わらせる? それもいいかも・・・と思ったがそうではなかった。

ブランコをこぎながら、父親にうまくいかない練習のことを話すシーン。
心配しながらも見守る気持ちを述べ、笑顔で送り出す母。
本人たちも自分の気持ちを率直に述べている。

彼らが真っ直ぐ前を見て、目の前のことを一つ一つ乗り越えようとしている姿は清々しい。
撮影後の彼らが今どうしているのかもトークで語られた。
その後の成長を見守りたい気持ちに誰もがなる、そんな直球勝負の作品だ。
日本の同世代に人たちは勿論のこと、はるか昔に青春を終えてしまった人、韓国の伝統芸術を見たことがない人にも見て貰いたい。

2017年4月15日(土)~28日(金) 連日10:20~
K's cinemaにて上映中です。
詳細はK's cinemaのサイトで → http://www.ks-cinema.com/

音楽ドキュメンタリー『まるで いつもの夜みたいに』を見る    [私の映画観]

2005年4月16日に高田渡さんは亡くなられている。
何かで知って、あっ、そうなんだ・・・と思い、お酒の飲み過ぎで肝臓を悪くしたのかもしれない・・・と思ったのですが、享年56歳とは思いもしませんでした。若すぎる!

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作品中のライブが撮影されたのは2005年3月27日。
計算すると亡くなられる20日前ということになりますが、倒れたのは4月3日の北海道での公演の後ということですから、亡くなられる1週間前のライブということになります。

もっと、たくさん、高田渡さんを撮って作品にするつもりだったのだと思いますが、偶然にも東京最後のライブを撮ってしまったということなのでしょう。
狭い会場の隅っこからカメラ1台で撮影しています。

私にも経験がありますが、1台のカメラでライブを撮るのはとても制約が多くて大変です。
この撮影では高田渡さんの右の横顔しか撮れていない。
でも、監督・撮影・編集をされた代島治彦さんもおっしゃっておられましたが、生身の高田渡さんが生き生きと写っています。

生身の高田さんが写っていることと、ライブだけで作品にしょうと考え撮っていない上、撮影後、すぐ亡くなられたので、作品として生み出すには12年の年月が必要だったということなのではないかと想像しました。

私にとっての高田渡さんは「自衛隊に入ろう」という歌の衝撃です。
真面目だった私は、それこそびっくりして、色々真面目に考え込んでしまった歌。70年安保の頃ですから、まさしくメッセージソングだったわけです。

『まるでいつもの夜みたいに』では、14曲が収録されていて、10話のおしゃべりが入っています。
まるで古今亭志ん生もかくありなんと思われる話術と代島監督は資料に書かれておられますが、本当に間といいい、客席の反応に対する返しも良くて、あぁ、焼酎のお湯割りでも飲みながら、この映画を見ていたら、思わず突っ込みを入れていたかもしれないと思いました。

高田渡さんのファンの方はもちろん必見ですが、若い方にも見て貰いたいなぁ~と思いました。
高田渡さんご自身もおしゃべりの中で語っていますが、こんなおじさんが、こんな風に生きている、ということに触れてほしいなぁ~と思いました。

高田渡さんが犬の散歩の話をされる。
犬の散歩をしているのだが、本当は飼い主の可愛い女の子やステキな奥さんと知り合いになりたいのだという。観客は笑っているけれど、「〇〇ちゃんのお母さん」なんて言いながら、もちろん、〇〇ちゃんは犬の名前だけれど、その散歩させている人に会っているのだという話はなかなかの真実だ・・・。オブラートに包んだ心を抱えて飄々と散歩している高田さんの姿が浮かんでしまった!

2017年4月29日より、「UPLINK渋谷」でロードショーがスタート!
上映の輪が広がっていくと思います。

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ほろ酔い上映ができたら良いなぁ~と思っていたら、『旅する映写機』 に登場する、高知の「大心劇場」ならできる! と思いました。
「大心劇場」の館主・小松秀吉さんのもう一つの顔は「豆電球」というシンガーソングライター。
「豆電球」の生ライブ付きほろ酔い 『まるで いつもの夜みたいに』 上映なんて、楽しそうだなぁ~! それだけのために高知に行ってもいいかも(笑)

ドキュメンタリー映画『聖なる呼吸』を見る    [私の映画観]

先週、ヨーガのお仲間と一緒に、『聖なる呼吸』というヨーガに関するドキュメンタリー映画を見に出掛けました。
ヨーガの起源に興味を抱いたドイツ人監督ヤン・シュミット=ガレ監督が、南インドを訪れ、近代ヨーガの父・ティルマライ・クリシュナマチャリアの軌跡を追った作品です。

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予告篇に静かに呼吸をする監督が登場していて、これはきっと面白いだろうと思い、チラシをゲットして一緒に行きませんか?と、声かけをしました。
ヨーガの指導をしている方が多いのでスケジュールの調整が難しく、結局、YEBISU GARDEN CINEMAには行けず、渋谷アップリンクへ出かけました。

現在ヨーガ人口は世界で3億人だそうです。それが多いのか、少ないのか、分かりませんが、20年くらいヨーガを続けている私は興味津々で出かけました。

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近代ヨーガの父・クリシュナマチャリアは1888年生まれで1989年に亡くなっています。これが正確な数字であれば、クリシュナマチュアリアは101歳の人生を全うしたことになります。医学の進歩の著しい現代なら100歳を超える方もたくさんいらっしゃいますが、長生きをされたのですね。

日本公開は2016年ですが、作品が完成したのは2011年。
完成前の2009年に、直弟子でこの作品にも登場するK.パタビジョイス氏が94歳で亡くなり、2014年にB.K.S.アイアンガー氏が96歳で亡くなっています。(単純引き算の数字)
監督を含め指導を行うシーンが記録されているので、それだけでも貴重だと思います。

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「父いわく、呼吸と動きを同調させなければヨガではありません。体を動かすだけでは単なる運動です。深く集中しながら呼吸と動きを連動させるのです」という、三女シュバの言葉が心に残ります。
日頃から、呼吸の大切さ、集中の大切さを、先輩たちから言われている私は、改めてその思いを強くすると共に、その大切さを実感することができました。

三男シリーバーシャム氏から監督が施されたという“命をつなぐヨガ”が、佐保田鶴治先生の著書「ヨーガ入門」で日課のプログラムとして勧めているアーサナと共通する部分が多いのも興味深く思いました。

ヤン・シュミット=ガレ監督は、パンフレットで「クリシュナマチャリアの末娘シュバが見せてくれたヨガには、強烈な美しさがありました。そのシンプルな実演にヨガの真髄を見た気がして、これが映画のクライマックスの一つになるだろうと思いました。」とインタビューで応えています。
「けれど、帰国して撮った映像をつないでいたら、その魔法が消えたように感じました。」と言い、「これは使えないと諦めかけていましたが、ようやく編集の最終段階で、ぴたりとはまる場所を見つけたのです。」と続けています。

私の場合は自分で撮影することがほとんどですが、「あ、これはラストに使えるかも・・・」などと撮影しながら感じることがあります。その通りになる場合もありますが、改めて映像を見て、撮影している時に感じたことと写っていることのずれを感じることもあるので、この監督のインタビューを興味深く読みました。

春に公開された『永遠のヨギー』もそうですが、古いフィルムが登場します。ヨギーたちを撮影したフィルムが一挙に見つかったなんてことがあるのでしょうか? やはり、実際に話しているシーン等を見られるのは嬉しですね。

もう少し早く生まれていたら、佐保田鶴治先生から直接ヨーガの指導を受けることができたかもしれませんし、佐保田先生の指導や講話を記録して残すことができたかもしれません。でも、現実はそうはいかない・・・。
ヨーガに出会えたことに感謝して、日々習修を重ねていきたいと思っています。

注)ヨガとヨーガの表記に関して
サンスクリット語には長音と短音があって、「ヨ」は長音なので、意識して「ヨーガ」という表記を、私はしています。

『永遠のヨギー ヨガをめぐる奇跡の旅』の感想はこちら↓
http://harunoumi.blog.so-net.ne.jp/2016-04-30

『映画よ、さようなら』を見る    [私の映画観]

由緒正しい映画館が閉鎖されることになった。何から何まで引き受けて身を粉にするように25年も働いていたホルヘは45歳。他の仕事をしたことがないという・・・。
スタンダードサイズでモノクロと知ったら見たくなりました。

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ウルグアイの首都モンテビデオに実際にある 「シネマテーク」 を舞台に撮影されたそうです。
フェデリコ・ベイロー監督は学生時代に 「シネマテーク」 でアルバイトをしたことがあり、自分を育ててくれた 「シネマテーク」 を舞台に映画を作りたいと、長年企画を温めていました。

主人公のホルヘを演じるのはウルグアイの映画評論家のホルヘ・ヘリネック。
その存在感に圧倒され、脚本を大幅に変更して作品を完成させたそうです。

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閉館が本決まりになって、中年で独身のホルヘは思いを寄せていた大学教授を誘うことを決心します。今まで黙々と映画館の仕事をしていたホルヘが床屋に出掛けて髪を切り、長年使っていた大きなカバンを床屋に置いたまま店を出ます。

彼女を誘いに行くのだと分かっても、あまりワクワクしないのがおかしい。どこかでうまくいかないに決まっていると思っている私。でも、違うところでクスと笑った。

大学に下見に出掛け臨時講師と間違われて 「人間は嘘をつく」 と一席ぶつシーン。本物の教授が入室してくるとすまして部屋を出ていく・・・。
彼女の仕事の終わる時間に合わせて再び訪れた大学の階段でステップを踏む。
突然鳴り出す音楽。どこか、映画と現実の区別が付いていないようなホルヘ。

映画館が閉館するというシンプルな話だが、主人公は当たり前かもしれないけれど人間で映画館でない。ホルヘは 「映画館」 に 「さようなら」 は言えても、「映画」 に 「さようなら」 は言えないに決まっている・・・。
そんなことを考えながら電車に乗っていると、急に空が暗くなり激しい雨が降り出した。

『ラサへの歩き方 祈りの2400㎞』を見る    [私の映画観]

午後からの打ち合わせの前に・・・と思って、早めに出掛け 『ラサへの歩き方 祈りの2400㎞』 を見ることができました。
チベットの小さな村から五体投地でラサへ更にカイラス山へ向かうロードムービーです。

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五体投地は、まず合掌して、両手・両足・額の5カ所を大地に投げ出してうつぶせになり、立ち上がって、再び合掌・・・を繰り返し、祈りながら進むこと。
アクシデントがあってもきちんと元の位置に戻って、ズルをしない。そして、祈るのは家族のためなど他者のために祈り、自分のために祈らない。

合掌している少女が手にしているのは板。
投げ出した勢いで、この板がズルズルという音を立てて地面を滑るようにからだが少しずつですが進んでいきます。でも、1日中五体投地をしても進む距離は知れています。板はだんだん擦り減っていき、励まし合いながら巡礼の旅は続きます。
夕方になるとテントを張り、皆で食事をし、明日の計画を話し合い、寝る。

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ドキュメンタリーのようですが、フィクションです。
登場する人物たちは、自分自身を演じるというか、実際の村人たち。
チベットマルカム県プラ村から、ラサを経て、最後はカイラス山へ向かいます。

死ぬ前にラサへ行きたいという叔父の願いをかなえるために 「ラサへ行こうと思う」 とニマが言うと、「それはよいことだ」 と同行を願い出る村人が続出して11人の巡礼の旅が始まります。

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五体投地で進む11人が延々と映し出されます。近くを大型のトラックが通ることもあります。携帯電話で話すシーンもあります。

途中で赤ちゃんが生まれたり (妊娠していても巡礼の旅に参加し、出産後は赤ちゃん連れで旅を続ける)、泊めて貰ったお礼に農作業を手伝ったり、全員の荷物を運ぶ車が事故で壊されてしまったり、お金が底をついて仕事をして資金稼ぎをしたり、1年の旅は1日1日を重ねることで続いていきます。

キャンプ中に村人たちが楽しそうに踊り出すシーンが印象的でした。
映画館にたどり着くまでに急ぎ足ですれ違った多くの人たちのことや工事が延々続いている駅のことなどが心をよぎりました。人もお金も吸い込むようにして成長し続ける都会。そちらの方が歪んでいて、今日生きていることに感謝することを忘れない村人の方が正しい・・・。

五体投地で1年もかけて巡礼をするなんて大変な・・・と思いがちですが、彼らは楽しそうに、そして幸せそうに旅を続けていくのです。一生に一度行けるかどうか分からないラサへの巡礼の旅は幸せな旅以外の何物でもないのだと思いました。

ドキュメンタリー映画 『五島のトラさん』 を見る!    [私の映画観]

長崎県五島列島に暮らす犬塚虎夫さん一家は7人の子だくさん。製麺と天然塩作りをして暮らしています。家族9人の22年間記録 『五島のトラさん』 の試写会に出掛けました。
映画の中で、2歳だった末っ子が24歳の教師に成長しています。

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『五島のトラさん』 は 「テレビ長崎」 が長年撮影してきた素材を元に映画化した作品で、2015年FNSドキュメンタリー大賞グランプリを受賞している。

長い間撮り続け、その素材が残っていることがまず素晴らしい。26年密着した 『夢は牛のお医者さん』 は 「テレビ新潟」 の作品。地方のテレビ局の頑張りを感じると同時に、テレビでは伝えきれなかったものを伝えたいという製作者側の熱い思いを感じる。
デジタル化によって映像製作が簡便になり多くの作品が誕生するようになった現在に、長い間撮影を続けた末に誕生する作品があることは意味深いと思う。

長期の撮影は、撮影する側の、撮影対象に対する肯定感というか、好ましい人、良き者という思いがなければ成り立たない。そして、それは撮られる側にも同じ思いがなければ、22年間もの長きに渡って撮影することはできなかったに違いない。そういう意味では、両者が出会わなければ誕生しなかった作品と言える。

トラさんの愛称で呼ばれる犬塚虎夫さんは、五島の名物 「五島うどん」 を作っている。子供たちは早朝5時から起きて、それぞれの仕事を1時間ずつ順番に手伝う。なんと末っ子は3歳から手伝いを始める。ちゃんとタイムカードがあって、それぞれの労働に似合う時給が決まっていて支払い (小遣い) がある。

過疎化が進む島で7人の子供を育てるために、トラさんは天然塩も作り始める。使われなくなった漁師小屋を使い、海水を廃材と使用済みの廃油を集めて煮詰めていく。元手を掛けずに自然の恵みを頂く仕事。トラさんは子供たちに島の暮らしの良さを伝えたいと思っている。

高校の同級生だったご夫婦。トラさんの一目惚れだったそうだ。夫は妻に対して 「7人も子供を産んでくれたありがとう」 と言い、妻の益代さんは夫に 「子どもたちを育ててくれてありがとう」 と言う。仕事のことも本気で考えるが、子供たちと一所懸命遊び、愛情を注ぐトラさん。
子供たちは成長し、7人のうち4人が今は島に戻り暮らしている。

個人的には家族揃って8ミリを見るシーンが印象的だった。長男の拓郎さんが末っ子の世文 (せぶん) くんが転んで泣きながら立ち上がるシーンを撮っている。きっと、トラさんなら駆け寄って抱き起してしまい撮れなかったのではないかと勝手に想像し、にんまり! 
もう、すっかりトラさんのファンになっている。

試写会の帰り道、後ろから 「五島のトラさんって、本当にトラサンなんですねぇ~」 という男性の声が聞こえてきた。
そうか、(葛飾柴又の)寅さんに対して、五島のトラさんか! そうですよね。愛すべきトラさんでしたね! と見えぬ相手に心の中で呟いた。

「ポレポレ東中野」 で8月6日(土)よりロードショウ公開!

ポレポレ東中野のサイトはこちら ↓
http://www.mmjp.or.jp/pole2/
ドキュメンタリー映画 『五島のトラさん』 の公式サイトはこちら ↓
http://www.ktn.co.jp/torasan/

『永遠のヨギー ヨガをめぐる奇跡の旅』を見る    [私の映画観]

ヨーガの先輩から教えて頂いて 『永遠のヨギー ヨガをめぐる奇跡の旅』 という映画を見てきました。ベースになっているのは 「あるヨギの自叙伝」 という本。
題名で、あぁ、あの・・・という方はヨーガにご縁のある方でしょうか?

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1920年代のアメリカへヨガと瞑想を広めた 「西洋のヨガの父」 と言われているパラマハンサ・ヨガナンダ(1893~1952年)の生涯を紹介する作品。
著書の 「あるヨギの自叙伝」 は、アップル社の創業者スティーブ・ジョブズ氏が自分のipadに唯一ダウンロードしていた本として有名。でも、私は読んだことがない・・・。
ジョージ・ハリスンが 「あるヨギの自叙伝」 に出会えていなかったら、今の人生はないと言っているのは分かったけれど、アメリカへ行って広めなさいという啓示を受け英語もできないまま(?)インドからアメリカへ行き、熱狂的に支持されヨガが広まっていた経緯はよく分からなかった。

なにしろ、英語のできない私はインタビューの字幕を読むのに追われ、横に出る人物紹介まで読めないので、どのような人の発言なのか、その人となりまで追いつけず、次々に登場する人のインタビューや実写映像を追いかけるのが精一杯だったのです。多くの実写映像が残っていることにびっくりしました。
どちらかというとエクササイズ的なものになっている現代のヨーガに対して、本質的なものを伝えようとしていることは分かりました。私の所属している 「日本ヨーガ禅道友会」 は、ヨーガは体操としながらも瞑想をとても大切にしていて、そこに魅力を感じて学んでいます。

久しぶりに 「ユーロスペース」 に行きました。以前、渋谷駅近くにあった時は良く出掛けていましたが、円山町に引っ越してからは足が遠のいています。
もとの映画館は、その後 「シアターN」 として生まれ変わり、2012年12月に閉館する時は映写機を撤去する様子を撮影させて頂きました。天井の低い映写室に工夫を凝らして設置されていた映写機はシネフォワード。再び動かすことができるように丁寧に撤去作業がされました。撤去の様子はドキュメンタリー映画 『旅する映写機』 で見ることができます。そして、その映写機は倉庫に大切に保管されています。

ドキュメンタリー映画『ルンタ』の試写会へ    [私の映画観]

日本に居ると知ることができないチベットでの焼身抗議。
2015年3月3日現在で、141名の方が中国の圧政に対して自らに火を放ち抵抗を示しているという。『蟻の兵隊』 『延安の娘』 などを手掛けた池谷薫監督の最新作。

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ある方にお誘いを受けて試写会にご一緒するはずだったのですが、どうしても日程の調整が付かず、最終日の8日に一人で試写会へ。

インド北部の町ダラムサラは、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が暮らす町。この町に30年間住み続ける、建築家でありNGOの代表でもある中原一博さん。
“ダライ・ラマの建築士” と呼ばれ、日本ではあまり報道されない “焼身抗議” をブログで発信し続けている中原さんを池谷監督が追うドキュメンタリー。

知らないことが多いと思い知らされ、「メイシネマ祭」 の時に貼られていたポスターの言葉が、しきりに思い出された。

かなしみを見た  くるしみを視た  よろこびを観た  知らなかったことを  知らぬふりをしていたことを  幾度も目にして揺れた

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この地図を見るとなんとチベット文化圏が広いか分かります。
右端に九州があるので、それと比較すると分かりやすい。

24年も監獄に入れられた老人が語ります。
「ひどい目にあっているのは中国のせいではなく、それぞれが積んだ業(カルマ)の結果だと考える。自分が苦しみを受ければ、他人が (その苦しみを) 受けることはない」と。
どんなに辛くとも耐えることができたと語る老人の目は、強い意志を感じさせ、奥は透き通っているように見えた。

10代後半の時、チベット本土でデモを行い、6年の刑を受け、その間電気ショックなどの拷問に耐え抜いたという尼僧は 「後悔したことはない」 と語り、「看守と互角に戦えた」 と誇らしげに微笑みを浮かべて語る。誇り高き美しい姿。

“焼身抗議” をした人たちは写真が並ぶだけで何も語らない。中原さんは一人一人の跡を追い、その背景を知りたいと思った。そして、自らが発信してきた “焼身抗議” した場所を尋ねるためチベットへ旅立つ。
「焼身が行われた場所をできるだけ多く見たい、そして、それは意味ある価値あること」 と語る。カメラはそれを追う。

焼身は他人を傷付けず民族同胞のために自らの命をささげる勇気ある行動だと、答える青年僧がいる。抗議の焼身であっても、自死することは罪深いことではないのか・・・・という疑問が、常に私に付きまとう。どんなに悲しむ人が多いことかと! 家族たちはそのことを語らない。語れないのかもしれない。
17歳で焼身した尼僧は詩を遺書として残している。その詩を読んだ中原さんは 「彼女にはダライ・ラマ法王が見えていたのではないか」 と語る。純粋無垢な彼女は高みにのぼり解脱していたのだろうか・・・。

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「ルンタ」 は 「風の馬」 という意味。
天を翔け、人々の願いを仏神のもとに届けると信じられている。

7月18日~ 「シアター・イメージフォーラム」 で上映が始まります。
その後、神奈川、岩手、新潟、長野、金沢、静岡、愛知、、京都、大阪、兵庫、広島、沖縄と公開が続きます。
上映の詳細は 『ルンタ』 の公式サイトで ↓
http://lung-ta.net/

今日はいつものヨーガの日。
体調を崩してお休みしている人や用事があってお休みの人もいて、7人でのヨーガになりました。今日は橋のポーズや逆転のポーズなど足を上げるアーサナを中心に行ってみました。
毎週行うアーサナと、毎週変えるアーサナを組み合わせています。

『泥の花-名護市民・辺野古の記録-』を観る    [私の映画観]

昨日は、「第75回ビデオアクト上映会」 で、沖縄名護発・ドキュメンタリー映画 『泥の花』 を見ました。「ビデオアクト」 は、インディペンデント映像作品の普及・流通をサポートするプロジェクトで、定期的に上映会を開催しています。

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『泥の花』 の輿石正監督は、知念良吉さんの唄 「泥の花」 を擦り切れるほど聞いたそうです。コザ市出身の知念良吉さんとは都内で開催された 『ベリー オーディナリー ピープル』 の上映会でお会いして、ご縁が始まりました。
その後、「べてるの家」 のメンバー下野勉さんと山本賀代さんのライブを主催する時にサポートをお願いしたり、沖縄で開催された 「言語リハビリのつどい」 の時に出演をお願いしたり、いつも力をお借りしています。

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小石監督は、名護で予備校を経営しながら(暮らしながら)、辺野古の基地建設反対運動をしながら撮影をしておられる。反対派も賛成派もいる街で経営をしながら・・・というのは大変なことだと想像します。

長い間撮影を続けていたからこそ、徐々に変化してきた過程(米と自衛隊が連帯したり、民間の警備会社が警備にあたるなど)が分かります。そして、この反対運動に繋がる金武湾での石油備蓄基地建設反対運動を、当時製作されたドキュメンタリー映画 『沖縄列伝』 の一部を引用して紹介し、反対運動の根底に流れている思いを浮かび上がらせ、綿々と続いている意志ある戦いであることを伝えています。

かりゆしグループCEOの平良朝敬さんはインタビューで 「今、沖縄にはたくさんの観光客が来てくれる。沖縄に暮らしたいと移住してくる人も多い。そして、物流の基地として(那覇空港は)国内のみならず海外へと物が運ばれている」 と語る。補助金頼りの沖縄ではなく、経済的に自立した沖縄が見えてくる。
基地建設反対を訴えて再選を果たした、名護市長の稲嶺進さんは、支援者に向けて 「名護が変われば沖縄が変わる。沖縄が変われば日本が変わる」 と呼びかける。そのことばが、すーと身体に入りました。

エンディングで知念良吉さんの唄 「泥の花」 が流れました。自宅に戻って、早速、CD 「青空の生まれるところ」 を聞き直しました。
次男がおよそ9年間暮らした沖縄。沖縄に育てて貰ったと感謝しています。

DVD 『泥の花』 は販売されています↓
http://www.videoact-shop.com/2014/361

映画『チョコレートドーナツ』を観る    [私の映画観]

気になりつつ、何度もチャンスがありながら観られなかった 『チョコレートドーナツ』 を観ました。
急に友人と会うことになった7月4日。
新宿武蔵野館の最終日でした。

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最初は地味なスタートを切ったらしいけれど、あちこちで公開されている作品。
私も新聞の記事を読んで観たいなぁ~と思っていました。

まだまだ、同性愛者の偏見が大きかった1970年代に、アメリカ・ブルックリンで実際にあった出来事を映画化したもの。映画の舞台はカリフォルニア。
ゲイのショーダンサー・ルディと弁護士・ポールが、育児放棄されているダウン症の少年マルコと家族のように暮らすようになる話。
偶然出会った3人だけれど、ルディのマルコに対する愛情の深さが緻密に表現されます。育児放棄していた実の母は食事代わりにドーナツを与えていたのでしょう。食事をしないマルコにポールがチョコレートドーナツを与えると、ルディは健康に良くない! と言うのです。
問題を解決するために冷静に行動するポールのお陰で、“同居人” の二人はマルコの養育権を得て学校に入学させ、友達もでき、学ぶことで大きく成長していく。だが、3人の幸せな暮らしは長く続かなかった・・・。
これから見る方もおられるかもしれないので、具体的な結論は書きませんが、ラストでは館内にすすり泣く声が聞こえました。

元映写技師の方にお話を聞くと、悲しい映画ですすり泣く声が聞こえるような、今回のような時は、いつもより照明を付ける時間を遅らせて、しかも、ゆっくり明るくしたそうです。映画の世界から現実の世界に戻る時間をたっぷり取る。そういう上映が、昔はされていたようです。

モデルとなったショーダンサーと同じアパートに住んでいたアーサー・ブルームによってシナリオ化。トラヴィス・ファイン監督がそのシナリオを読んで涙を流したそうです。
ルディ役のアラン・カミングが素晴らしい演技と歌声を披露してくれる。俳優さんってすごいなぁ~!マルコ役のアイザック・レイヴァはダウン症で職業俳優になる夢を持っていて、本作で見出されたそうです。

そして、妙に心に残ったセリフ。 ルディがポールに言う 「枕の下のように冷たい?」
確かに枕の上は暖かいが枕の下は冷たい。枕の下に手を差し込こんだことがある人だけ知っている冷たさ? 「あなたに分かる?」 と問いかけているようなセリフ。
そして、枕の下の冷たさは気持ち良いと感じるのは私だけでしょうか。

『語りかけるからだとことば 自分の声に出会う』を見る   [私の映画観]

24日は、2013年秋 「メイシネマ上映会」 のお手伝いに行ってきました。
『語りかけるからだとことば 自分の声と出会う』 は、6ヶ月の間、月に2日実施された竹内敏晴さんのレッスンを記録した作品で、『表現のレッスン 竹内敏晴 2000年4月~6月の記録 「鹿踊りの始まり」 宮沢賢治』 という長い長いサブタイトルがついています。

30年以上前、竹内敏晴さんの本 「ことばが劈かれるとき」 を夢中に読んでから、ずっと、関心を持ってきたので、楽しみに出かけました。
4月、5月、6月、とそれぞれ100分ずつ、合計300分。なんと、5時間の作品です。

竹内敏晴さんも、製作をされた鳥山敏子さんも、亡くなられています。でも、映像の中ではイキイキと生きておられました。
小さな上映会でしたが、一番後ろで見ていた私は、観客が一緒に息を吐いたり、からだを揺らしたり、時には歌ったりするのが良く分かりました。私自身も、映像と一緒にレッスンを受けた感じで、とても清清しい気持ちとからだになった上映会でした。

ヨーガでもからだの力を抜くのはとても難しい。そして、からだの歪みが整っていくためには、アーサナと同じくらい、アーサナの後にからだをゆるめることが必要なのです。ヨーガを学ぶ者としても貴重なレッスンだったと思っています。主催者の藤崎和喜さんに感謝!

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今年も豪華に咲いている 「スプレーマム」 (スプレー菊) です。
品種改良された菊。主にオランダ、イギリス、アメリカで育成されてきたので西洋菊と表現する場合もあります。それに対して、和種の菊を和菊と区別しています。父が大切に育てていたのは和菊。この菊は私が頂いたもの。手間要らずで元気にたくさん花を咲かせます。

昨日は仕上げでスタジオ入り。その後、食事をしている間に嵐になったようで、大宮駅に着いた時には雨も止んでいました。今日は落ち葉が一杯で、掃き掃除が大変でした。

ドキュメンタリー映画『いのちを楽しむ』を見る   [私の映画観]

近親者にがんが多いので、私も死ぬ時はがんかなぁ~と漠然と思っています。
末期がん患者の在宅生活を支えている訪問看護ステーションに勤務している友人に、その話をしたら、「がんは急には死なないからいいよ」という返事が返ってきました。確かに!

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ドキュメンタリー映画『いのちを楽しむ』は、余命1年と宣告されたがん患者・渡辺容子さんの最期の2年間を記録したものです。参考になれば・・・と試写会に出かけました。

渡辺容子さんの主治医は、「患者よ、がんとたたかうな」等の著者として有名な近藤誠医師。今更説明するまでもないけれど、患者の生活の質を大切に、手術や副作用の強い薬を使わない治療で有名な方です。なので、容子さんも40歳で5ミリの乳がんが見つかった時は手術をせず、経過観察することを選択しています。

最初の段階では、現在のがん治療に一石を投じる作品を企画されたようですが、撮影を開始すると、容子さんの魅力にやられてしまった感じだったのでしょう。がん治療云々よりも、ひとりの人としての生き方を伝える作品になっていました。

「若い時から好きなことを好きなようにしてきたから、私は幸せよ」と、余命1年の宣告を受けた後も、笑顔で語る容子さん。そして、ホルモン剤の効果で体調が上向くと、命あるものとしてできることはしなければ・・・と、杖をついて原発反対の集会に出かけていきます。

在宅生活を支えたのは、在宅医の網野晧之医師と妹さん、そして友人たちが組織した介護グループでした。常に、治療の主役、主導権を持っていたのは容子さん。最後に、容子さんは緩和ケア病棟に入院され58歳で亡くなられます。

試写会に向かう電車の中で、黒尽くめの女性がハンバーガーを持って入ってきて、私の目の前で食べ始めて、びっくり! 電車の中にチーズバーガーの匂いが広がって、うんざり! よく見るとふんわりした黒いパンツの中の脚がすごく細い。ハンバーガーを持つ指もとても細い。全身を見えないように隠している・・・。
隣の席が空いて彼女が座ったら、なんと持っていた大きな紙袋の中は山のようなスナック菓子でした。過食症なのでしょう。家で一人食べ吐きをしている段階ではなく、電車の中でも食べている? スラリと背の高い、瞳の大きな女性で、30代かなという感じでした。誰も相談する人がいなくて、一人ぼっちのような気がしました。

試写会の帰り道、彼女に『いのちを楽しむ』を見るチャンスがあればいいのに・・・と思いました。

『いのちを楽しむ」の公式サイトはこちら http://www.inochiyoko.com/
劇場公開は、6月1日~ 渋谷イメージフォーラムにて

ドキュメンタリー映画『ニッポンの嘘』を見る    [私の映画観]

昨年、いろいろな賞に輝いた『ニッポンの嘘』。
見逃していたのですが、友人が、千歳烏山で上映会を催すというので出かけました。
少し早めに会場に着いたかな・・・と思いきや、大変な人で賑わっていました。

会場は天井の低い会議室に椅子を並べたもので、スクリーンの下の文字は前列の方しか見られない状況。でも、自主上映会にたくさん人が入っているとそれだけで嬉しくなります。

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戦後66年、現場の最前線でシャッターを切り続けてきた伝説の報道写真家・福島菊次郎さん。
「問題自体が法を犯したものであれば、報道カメラマンは法を犯してもかまわない」と言い、隠し撮りの方法をカメラの前で披露する。「国を攻撃しながら、国の保護は受けられない」と、年金を拒否。愛犬とつましい生活を送っておられる。
福島菊次郎さんも、長谷川三郎監督も、来場されるという豪華版の上映会でした。

随分昔、世田谷で福島さんの写真展を開催しようとして、妨害があったのか実現できなかったという経緯があって、ぜひとも、世田谷の地で『ニッポンの嘘』を上映したいと、当時、写真展に関わった方々の思いからスタートした企画だそうです。

長谷川監督は、「菊次郎さんの人柄にほれてしまって撮ることになりました」とおっしゃっていましたが、愛犬とのやり取りや補聴器を買いに行った時の店員さんとのやり取りなど、ほんとチャーミングでした。確かに被写体に魅力を感じないと撮れませんね!
会場には菊次郎さんの被写体となった障碍を持つ女性もいらしていて、「撮られる時は、それが作品として発表され、こうして映画の中でも使われるとは思っていなかった」と語られました。
撮る、撮られる、作品として世の中に出る、反響を生む・・・。いろいろ考えさせられました。

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北海道浦河町にある「大黒座」でも、『ニッポンの嘘』は上映されています。上映と併せて、福島菊次郎さんの写真展も何回かに分けて映画館のロビーで開催したそうです。
札幌から2時間以上も掛かる、人口1万4千余りの小さな港町で、90年以上も続いている映画館「大黒座」で、『ニッポンの嘘』が上映されていることに感動します。
町の人は90年以上も続いているので、町に「大黒座」があるのが当たり前になっているかもしれないけれど、北海道の小さな港町で、この作品が観られることは本当に幸せなことだと思います。

「大黒座」の4代目館主・三上雅弘さんは大学進学のため上京し、何かの集会の時に、カメラを持って出かけたところ、福島菊次郎さんに出会ったそうです。そして、カメラを持っていることから話し掛けられたそうです。
そのこともあって、作品の上映と写真展が開催されたのだと思いますが、「絶対に映画館は続けなくてはならないとは思っていない」と語っておられる三上さんですが、映画を見てほしいという思いが伝わってくるのです[わーい(嬉しい顔)]

ドキュメンタリー映画『61ha 絆』を見る   [私の映画観]

18日の撮影でご一緒した、大先輩の堀田泰寛カメラマン撮影のドキュメンタリー映画『61ha 絆』のサロン上映会の初日だったので、原宿まで出かけてみました。

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チラシの文字が読めるようにと思って大きなデータをUPしたのですが、もともとのチラシの文字が小さくて・・・。最近、どんどん視力の衰えている私には辛い(涙)
予告篇は ↓ こちらで見られますので、どうぞ!
http://www.youtube.com/watch?v=eS0cZOiVZuA

タイトルに絆とあるから、東北震災をイメージされる方もいらっしゃるかもしれませんが(私もそうでした)、ハンセン病のご夫婦の日常を写した作品です。淡々とした日常とご夫婦のやり取りに、お互いへの深い愛情を感じ取ることができました。
「61ha(ヘクタール)」は、ご夫婦の住む瀬戸内海の大島の面積のこと。
「絆」は、もちろんご夫妻の絆のこと。

「3年経ったら治るから行け」と言われ、それを信じて15歳で島に来た東條康江さん。大変頭の良い方なので、ハンセン病という病にならなかったら・・・と想像してしまうのは、失礼とは思いつつ、そう思ってしまいました。

カメラマンの堀田さんも、「康江さんがとても魅力的だ」とおっしゃっておられましたが、ご主人の高さんにとっても、それは同じことだったはず。康江さんの前向きな生き方、辛さを乗り越えてきた明るさ、自分の思いを素直に表現する率直さ等に、力をもらっているからこそ、視力を失い家事などができなくても、身軽に動きサポートされているのだと思いました。

「山里に トマトの苗を 植えつけて 育てるのは夫(つま) 食するのはわれ」と、康江さんが詠む。畑で高さんのもぐトマトの大きさはバラバラ。それを包丁で食べやすいように小さく切って、こぼさないように深めの器に入れて、康江さんの前に置く高さん。康江さんが食べ終えた器には赤い汁が残っていて、それがとても豊かに見えました。

サロン上映会は
2012年6月21日~27日まで 14:00~ 19:00~ の1日2回上映
会場は 「カーサ・モーツァルト」 渋谷区神宮前1-10-23
予約制なので、事前に 090-6527-1490 へ連絡をしてください。

私は今『旅する映写機』という作品を撮っているのですが、カラオケ大会に出演するご夫婦の映像を見ながら、ある思いに至っています。

『ほかいびと』を見る   [私の映画観]

昨日は経過観察となっていた肩の腫瘍の診察日でした。いろいろご心配くださった皆さん、ご安心ください。無罪放免となりました。再び腫れるなどの変化があったら受診すればよいということになりました。ああ、よかった~!と、胸を撫で下ろしています。

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よい結果が出たところで、先輩からご案内を頂いていた『ほかいびと 伊那の井月(せいげつ)』を見に「ポレポレ東中野」へ。私は知らないことばかりで、大変、勉強になりました。井月さんの熱烈なファンという方いらっしゃるのですね。たくさんの観客が入っていて羨ましい限りでした。

信州の北に一茶あり、南に井月あり! といわれた井上井月。
井月愛好の伊那人が80年かけて集めた1800句、逸話、日記の断片、聞き書きにもとづいたドキュメント&フィクション。4年の歳月をかけて、井月の謎の生涯を明らかにした作品です。

たくさんのお金と年月をかけて撮影されていました。
井月役の田中泯さんも凄くかっこ良かった! 

その後、修理に出してあってレコーダーを受け取って、設置のお手伝い。動作確認をしてOKになり、充実した一日になりました。

『チェルノブイリ・ハート』を見る   [私の映画観]

「埼玉映画文化協会」が、福島第一原子力発電所事故から間もなく1年という今日「核のない世界をめざして」という上映会を主催しました。上映されたのは、『核のない21世紀を』『チェルノブイリ・ハート』『ホワイトホース』の3作品でした。
核廃絶の願いを凝縮した作品『核のない21世紀を』は、2001年制作。この時点で、日本で原発事故が起きるとは誰も想像していなかったということが、逆に浮かび上がってきました。

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『チェルノブイリ・ハート』は、2003年アカデミー賞短篇ドキュメンタリー賞受賞作品。
上映時間は40分ですが、力のある作品でした。(併映された『ホワイトホース』は、原発事故から20年後。初めて故郷に帰る青年をカメラが捕らえた20分の作品でした。)

チェルノブイリ事故から16年後の2002年のベラルーシ共和国。原発から30キロ以内は居住が禁止され、東北350キロ以内には「ホット・ゾーン」と呼ばれる局所的に高濃度汚染されている地域があります。
取材スタッフの放射能測定器の数字がどんどん上がっていきます。「ホット・ゾーン」に暮らす人たちは、「数字を見せて!」と測定器を覗き込みます。「この数字、本当の数字? 政府は(本当の)数字を発表しないから・・・」と、どこかで聞いたような台詞を呟く。不安でも、ここに暮らすしかない、おじいさんやおばあさんたち。
「こんな遠い所まで来てくれて、ありがとう!」と、手を振る姿が心に残りました。

「放射能と関係があるのは確か・・・」と、医療従事者たちは口を揃えて言います。実際に、障碍を持って生まれてくる子供の数はとても多く、医療の進んだ地域なら出産と同時に手術が可能な水頭症の子供も手術を受けられないまま放置され、子供の甲状腺がんも多い。

「チェルノブイリ・ハート」とは、穴のあいた心臓のこと。重い障碍を持って生まれてくる子供たちの呼び名でもあるそうです。心臓手術を待つ子供たちの数の多さ。現実にはほんの一部の子供が、ボランティアよる手術を受けられるだけ・・・。
地元の医師に「手を付けられない」と言われた少女が、アメリカ人ドクターの手術で心臓の穴を塞ぐことに成功する。地元の医師の1か月分の給与の3倍もするという素材が使われました。
術後、「質問はありませんか?」と問うドクターに、全身で感謝を表す母親。ドクターは「どう(反応)したらいいのか、わからないよ」と、次の手術に向かいます。いつもと同じように手術をしただけなのに・・・という複雑な思いが滲み出ていたように感じました。

必要以上に不安を煽ることは良くないと思うけれど、原発事故、放射能汚染の問題は、自分で見て、読んで、考えて、判断することが必要だと、改めて思い知らされました。

映画『ゴーストライター』を見る   [私の映画観]

久しぶりに「川越スカラ座」へ。映画を見たい時は時間がなく、時間がある時は見たい映画がなかったりして・・・。

「川越スカラ座」は、埼玉県内で一番古い映画館。私が中高校生の時に見ていた映画館の雰囲気がそのまま残っていて、とても落ち着く映画館です。女性スタッフの気配りが隅々まで行き届いているのもステキです。
川越の名所「時の鐘」の近くにあるので、川越散策と一緒に是非お出かけください。

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見たのは『ゴーストライター』。
2010年度ベルリン国際映画祭銀熊賞(最優秀監督賞)受賞作品。80歳を迎えるポランスキーの久しぶりのサスペンス映画です。
テンポ良くスクリーンの中に引き込まれていき、静かに緊張が広がって、ラスト、小さな紙片がどんどん手渡しされるシーンでは、何処かで誰が落とすとか、丸めて握りつぶすとかして~!と。でも、当人の手に渡ってしまい不吉な予感が・・・。

イギリスでは、タクシーの運転手になるためにはとても難しい試験にパスしなければならず、決して、乗車拒否のようなことはしないはずなのに、ゴーストライターの仕事を引き受けて外に出ると、タクシーが止まらず、その後、暴漢に襲われてしまう・・・。
サスペンスだから、あれこれ書けないけれど、全体に青く暗い映像が、身体の隅々まで冷たくしていく・・・。

元英国首相のゴーストライターを引き受け、秘密保持の書類にサインする男は、最後まで自分の名前を名乗らないし、誰からも名前を呼ばれない。
元英国首相に「君」と呼ばれて、「僕に親しみを感じてくれた」と言うゴーストライターに、秘書は「あなたの名前を覚えていないだけよ」と応える、大人のサスペンスでした。

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