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「KATAGAMI  Stayle」へ    [@アート]

新聞の下部広告で知った「KATADAMI Atyle 世界が恋した日本のデザイン展」へ行ってきました。ここのところ、なんだかざわざわした日々を過しているので、たまには・・・と出かけたのですが、今日は土曜日で、世の中的には美術館などの混む日でした[ふらふら]

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このチラシは三重県立美術館のものなのですが、私が出かけたのは「三菱一号館美術館」。
花冷えの言葉どおり桜は満開なのだけれど、気温がぐっと下がった今日、東京駅から歩きました。

いつも、思うのですが、映画館でも、美術館でも、自分が見た物のチラシがほしい! 
私は老後の楽しみにスクラップもしていて、チラシやチケットを貼っています。でも、なかなか、上映中や開催中の場所ではチラシは手に入らないのです。チラシでお知らせして・・・という考えは分かるのですが、出かけた人々にチラシをお渡しするべきではないかと思います。

職人仕事の手業の素晴らしさ! デザインの斬新さ! どこの国の人であれ、学びたくなったことでしょう。“世界中に愛されたデザイン”は、たくさんの人々の中を潜り抜けて、誰もが好ましいと思う形に昇華していったように思いました。

「三代山田常山展」で急須を堪能      [@アート]

昨日は「三代 山田常山 人間国宝、その陶芸と心」展へ行ってきました。
急須は陶芸サークルで2回ほどチャレンジしているのですが、とても難しい! 技術がないと作れない急須。しかも、更にいろいろな技法が加えられていました。

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たくさんの急須を見て、我が家(実家)の急須のことを思い出しました。
父は急須が大好きで、姉が生まれた時、私が生まれた時等、記念に急須を買い求めていました。そして、結構高価な急須を普段から使うように母に言っていて、母は欠いたら困るから・・・とこぼしていたのを思い出します。子供の頃の私にとって、急須は触ってはいけない物でした。

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この食器棚は、父と母が結婚した時に求めたのではないかと思われる年代物です。傷だらけですが、私はとても気に入っていて、台所の隅に置かれていたのを今は部屋の中に置いて、一番上の棚に急須を入れています。

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私が中国へ行った時に、父にお土産に買ってきた急須(父曰く、これはおもちゃ。左奥2番目)を入れると13あります。私には急須の価値は分かりませんが、たくさんの急須を見て、我が家にも、火襷や模様入りや、手跡の残ったもの等などがあるのを思い出しました。

私自身は、瀬戸物の母が使っていた急須と自作の(と言っても、随分先生に助けてもらった)土瓶を使っています。

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実家に戻って片付けを始めた時は、どうしたらよいのか困り果てましたが、今は、ひとまず、同じものは一箇所に集めて置くことにしています。急須の価値は分からないけれど、私にとっては宝物の一つです。

INAXギャラリー大阪の「聖なる銀展」へ   [@アート]

ヨーガの集中講座に参加するために大阪へ行っていて、ブログの更新をお休みしていました。
大阪より関東のほうが寒い~! 留守にしていた家は冷え切っていて、しばらく上着を脱ぐことができませんでした。新幹線の中では乗客は皆当たり前のように上着を脱いで過しています。片や寒い寒い避難所で暮らしている方もおられるのですから贅沢なことですね・・・。

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せっかく大阪まで出かけるのだからと、今回も前倒しで出かけました。いろいろ迷った末に、今回は「INAXギャラリー大阪」へ「聖なる銀」というアジアの装身具展へ出かけました。
地図を片手にウロウロ。INAXの文字を探していて、「ここですよ!」と言われてしまいました。
テレビCMで「LIXILって知ってる?」と流れていましたが、INAXのことだったのですね[わーい(嬉しい顔)]

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日本は“銀の国”と言われるほど銀を産出していた国。シルクロードのようにシルバールートがあったのかもしれません。
それにしても、装飾品の細かい細工がみごとで見応えがありました。ある時は嫁ぐ時の財産だったり、魔除けだったり、信仰の拠り所だったり・・・。生きること自体が厳しかった時代の装飾品は、飾るものというより身を守るものだったことを実感し、身に付けていた人はどんな人だったのだろうと思いが膨らみました。

とてもステキな企画展で、今後、INAXギャラリーの名古屋・東京と開催されますので、アジアに関心のある方や装飾品に関心のある方は、是非、お出かけください。

INAXギャラリーの後は、テレビでしか見たことないグリコの看板やカニの看板のある難波へ出かけてみました。随分、大阪の地下鉄の乗換えにも慣れてきました。
もちろん、ヨーガの研修でも“目ウロコ体験”をしてきました。それらの報告は、また明日!

「秋岡芳夫展」へ   [@アート]

昨日はお見舞いのついでに目黒美術館まで足を伸ばし、「秋岡芳夫展 モノへの思想と関係のデザイン」に出かけました。
お見舞いだけだと心がしんどい感じ。そんな状況のお見舞いでした。でも、ご本人がとても元気そうに振舞ってくださっていたので、同室の方にはご迷惑だったと思いますが、病室だというのに軽口を叩いて帰ってきました。

秋岡芳夫さんは目黒区に住んでおられたそうで、目黒美術館での楽しい展覧会になっていました。童画家、工業デザイナー、生活デザイナー、木工家、プロデューサー、道具の収集家など多彩な顔を持ち活躍された方です。
学年誌の付録も手がけていて、「あった! あった!」と懐かしい物がたくさんありました。そして、思い出したのが下の写真です。

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これは3歳の誕生日の私。
「幼稚園」の12月号の付録「さんたくろうすのようふく」を着ている私です。手に持っているのはサンタの顔も付いている三角帽子。サンタの顔を顔の前にたらすようになっています。

天秤ばかりとか、鉱石セットとか、いろいろな付録のことを思い出しましたが、この写真のことが一番に浮かんできました。写真があったので、とても鮮明に赤い色のことを覚えています。写真を撮ってくれた父に感謝です。

学年誌はどんどん廃刊が続いているそうですが、今でも「幼稚園」は発行されているそうです。
私が子供の頃は、ゲームどころかテレビもない時代だったので、毎月届く学年誌がどんなに楽しみだったことか。付録もとても楽しみでした。端から端まで本を丁寧に読み、付録で遊び、想像の世界を膨らませていました。そんな懐かしい子供の頃のことを思い出せてよかったと思っています。

今日、やっと年賀状が完成して投函してきました。いつもより、何もかも遅れ遅れの年末です。

円空展へ     [@アート]

生前、父が会員登録していた「埼玉県立歴史と民族の博物館」。
「円空 こころを刻む」という企画展が開催されていたので出かけてみました。蘇るのは遥か昔の断片的な記憶。父と一緒に出かけた企画展。何の企画だったか、記憶が定かではありません。

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円空仏には以前から興味を持っていていました。
以前見た作品展では、勢いよく走りながら彫ったのですか? と思うくらいの勢いを感じましたが、今回の作品では丁寧に素材に出会おうという反面も感じられました。

今回は埼玉県内に残されていた円空仏を中心とした企画展で、円空さんはゆっくりと居る場所(泊まる場所? 座る場所?)を確保して、そこで彫って居るような印象を受ける作品もありました。展示されていたのは170体。見応えたっぷり。円空さんの彫る菩薩さんは優しい顔していて、不動明王は険しい顔をしていて・・・。でも、それだけではないものを感じました。

立体の芸術家・円空には素材を見ただけで完成型が見えたみたい! 細かいことは気にせずに一心に自分に見えた世界に向かって、ただただ彫り続けていたみたい。木目の出方、木の癖、彫りの方向、一宿一飯の恩義等とはいえ、円空が天才だったことを確信しました。
見応えたっぷり、是非、お出かけください。11月27日まです。


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