畳857枚分の広さ! [私の旅物語]
五重塔を目指して階段を登ると左側に大きな建物が見えました。
登り切ると建物の土台部分、日本建築独特の石の上の太い柱が見えました。
なかなかの迫力です。
100円の「昇殿券」で上がってみました。
1587年に豊臣秀吉が「大経堂」として建設に着手したものの、秀吉の急死により工事は中止。
壁が作られることはなく、中を小鳥が飛ぶこともあるそうです。
太い太い梁も風にさらされ、でも心地よい風が吹き抜けています。
床の傷んだ部分を補修している跡がところどころにあり、それを発見するもの楽しかった。
太い梁には色々な絵馬が掛けられていました。
どのような絵だったのか、分からなくなっている絵馬もあれば、なにやら文字の書かれているものもありました。
新しく絵馬を奉納される方もおられるのですね。
432年前に着手された建物が残っていて、その建物に絵馬を奉納する人が居て、それを眺めている自分が居ると思うと、なんとも不思議な感じがしました。
一人、静に読書をしている青年が居ました。
彼の心の中にはどのような風が吹いているのでしょうか?
青年の坐っていたところから「厳島神社」を見渡すことができました。
昨日はヨーガの指導の後、急いで成田空港に移動し息子家族の出国を見送りました。取得したばかりの就労ビザが手打ち入力だったそうでチェックインに時間が掛かり、そのままゲートへ。
行きは節約して日暮里から特急に乗りましたが、帰りは疲れてリムジンバスで帰宅。
疲れの一番の理由はヨーガの会場から移動中の自転車で、スマホを見て自転車を運転していた若い女性と接触事故になったからです。
怪しい運転を感じたので、若い人なら咄嗟の時に左側に寄るだろうと左にハンドルを切ったのですが、直進して来て、ハンドルを握っていた右の人差し指の皮が剥けて、右膝を軽く打撲。
「すみません! 気が緩んでスマホを見ていました」と、盛んに女性はあやまっていました。お互いに大した怪我をしなくてよかったけれど、転んでいたら骨折とか頭部打撲の可能性もあったのですから、自転車でスマホは絶対にダメです。
登り切ると建物の土台部分、日本建築独特の石の上の太い柱が見えました。
なかなかの迫力です。
100円の「昇殿券」で上がってみました。
1587年に豊臣秀吉が「大経堂」として建設に着手したものの、秀吉の急死により工事は中止。
壁が作られることはなく、中を小鳥が飛ぶこともあるそうです。
太い太い梁も風にさらされ、でも心地よい風が吹き抜けています。
床の傷んだ部分を補修している跡がところどころにあり、それを発見するもの楽しかった。
太い梁には色々な絵馬が掛けられていました。
どのような絵だったのか、分からなくなっている絵馬もあれば、なにやら文字の書かれているものもありました。
新しく絵馬を奉納される方もおられるのですね。
432年前に着手された建物が残っていて、その建物に絵馬を奉納する人が居て、それを眺めている自分が居ると思うと、なんとも不思議な感じがしました。
一人、静に読書をしている青年が居ました。
彼の心の中にはどのような風が吹いているのでしょうか?
青年の坐っていたところから「厳島神社」を見渡すことができました。
昨日はヨーガの指導の後、急いで成田空港に移動し息子家族の出国を見送りました。取得したばかりの就労ビザが手打ち入力だったそうでチェックインに時間が掛かり、そのままゲートへ。
行きは節約して日暮里から特急に乗りましたが、帰りは疲れてリムジンバスで帰宅。
疲れの一番の理由はヨーガの会場から移動中の自転車で、スマホを見て自転車を運転していた若い女性と接触事故になったからです。
怪しい運転を感じたので、若い人なら咄嗟の時に左側に寄るだろうと左にハンドルを切ったのですが、直進して来て、ハンドルを握っていた右の人差し指の皮が剥けて、右膝を軽く打撲。
「すみません! 気が緩んでスマホを見ていました」と、盛んに女性はあやまっていました。お互いに大した怪我をしなくてよかったけれど、転んでいたら骨折とか頭部打撲の可能性もあったのですから、自転車でスマホは絶対にダメです。
海に浮かぶ大鳥居 [私の旅物語]
一時帰国中の息子家族と一緒に広島旅行へ出かけたのは16日でした。
ギリギリまで編集作業をして、上映の判断は東京都の担当部署に任せての出発でした。
旅行をキャンセルしても解決しないので予定通り出掛けることにしました。
目指す「宮島」までは延々新幹線の旅でした。
「富士山が見えるよ~!」と言っても、富士山よりもゲームをする許可の方が気になる孫。
時間制限されつつゲームをしていました。
海に浮かぶ大鳥居が有名な「宮島」へは「広島駅」から「宮島口駅」までJRで移動。
「宮島口駅」まで乗車券を購入していました。
往復切符を買ってフェリーで「宮島」へ。
平安時代の屋殿作り様式の「厳島神社」です。
第1日目は「宮島」に泊まるので荷物を預けて「厳島神社」を目指しました。
もう少し潮が満ちてきたら、海に浮かんでいるように見えることでしょう。
今は歩くことはできない「太鼓橋」
ここも潮が満ちたら海に浮かんでいるようになるのですね。
海を背にした「能舞台」
奥に「大鳥居」も写っています。
「能舞台」の奥に見える「五重塔」
応永14年(1407年)に建てられたものと伝えられているそうです。
612年前に建てられたとはビックリ
もちろん、五重塔を目指しました。
左側に写っているのが「豊国神社」。通称「千畳閣」です。
「五重塔」を目指す前に「大願寺(だいがんじ)」もお参りしました。
大政奉還の前年(1866年)の第二次長州戦争の時に、勝海舟と木戸孝充(桂小五郎)が会談したお寺だそうで、ここでもビックリ
JR「宮島口駅」から徒歩5分で「宮島口桟橋」へ。
フェリーに乗ること10分で「宮島」に到着。
桟橋から商店街をぶらぶら歩いて「厳島神社」→「大願寺」→「五重塔」→「豊国神社」というコースでした。今回もお天気に恵まれた旅になりました
ギリギリまで編集作業をして、上映の判断は東京都の担当部署に任せての出発でした。
旅行をキャンセルしても解決しないので予定通り出掛けることにしました。
目指す「宮島」までは延々新幹線の旅でした。
「富士山が見えるよ~!」と言っても、富士山よりもゲームをする許可の方が気になる孫。
時間制限されつつゲームをしていました。
海に浮かぶ大鳥居が有名な「宮島」へは「広島駅」から「宮島口駅」までJRで移動。
「宮島口駅」まで乗車券を購入していました。
往復切符を買ってフェリーで「宮島」へ。
平安時代の屋殿作り様式の「厳島神社」です。
第1日目は「宮島」に泊まるので荷物を預けて「厳島神社」を目指しました。
もう少し潮が満ちてきたら、海に浮かんでいるように見えることでしょう。
今は歩くことはできない「太鼓橋」
ここも潮が満ちたら海に浮かんでいるようになるのですね。
海を背にした「能舞台」
奥に「大鳥居」も写っています。
「能舞台」の奥に見える「五重塔」
応永14年(1407年)に建てられたものと伝えられているそうです。
612年前に建てられたとはビックリ
もちろん、五重塔を目指しました。
左側に写っているのが「豊国神社」。通称「千畳閣」です。
「五重塔」を目指す前に「大願寺(だいがんじ)」もお参りしました。
大政奉還の前年(1866年)の第二次長州戦争の時に、勝海舟と木戸孝充(桂小五郎)が会談したお寺だそうで、ここでもビックリ
JR「宮島口駅」から徒歩5分で「宮島口桟橋」へ。
フェリーに乗ること10分で「宮島」に到着。
桟橋から商店街をぶらぶら歩いて「厳島神社」→「大願寺」→「五重塔」→「豊国神社」というコースでした。今回もお天気に恵まれた旅になりました
出石町の芝居小屋「永楽館」へ [私の旅物語]
「いずし」という発音を聞くと、北海道浦河町の「飯寿司」が浮かぶ私ですが 但馬の小京都と呼ばれいる「出石町」へご案内いただきました。
出石町のシンボルと言ったら「辰鼓楼(しんころう)」だそうです。
時刻を知らせる太鼓を叩くために建てられた櫓。
「テレビドラマで見たことがあるでしょう。必ず、この櫓の近くを歩いたりするんですよ」と、「とっとりフィルムコミッション」でも活躍されていた清水さんが笑顔で説明してくれました。
「出石家老屋敷」です。
小京都と呼ばれる雰囲気のある町でした。
出石城跡や資料館、観光センターもあって、たくさんの観光客でにぎわっていました。
昔ながらの細い道と家並みに「出石皿そば」の店がたくさんありました。
「コウノトリ但馬空港」からも近いためか、海外から観光に来ている方も結構いらっしゃった。
きっと、関心を持つところが違うのでしょうね。
出石町を訪れた目的は「出石皿そば」ではなく 明治34年に開館した近畿最古の芝居小屋「永楽館」を訪ねることでした。
「観光センター」で場所を尋ねると、「すみません! 今日は貸切で中が見られないのです」と、とても申し訳なさそうでした。
確かに「貸切」の札が・・・
貼られていたポスターから畳敷きの館内の様子が少し分かりました。
愛媛県内子町の「内子座」のことを思い出しました。
「内子座」は『旅する映写機』に登場します!
「興行」の札が掛かっています。2008年に44年ぶりに甦ったそうです。
歌舞伎などの「興行」のない日は一般公開されています。
残念だったけれど、現役で使われていることが嬉しい!
受付に座っておられた男性もしきりに中に入れないことを詫びていました。
でも、伺うことができて本当に良かった!と思いました。
こういう場所で映画を見るのも良いのではないだろうかと夢が膨らみます。
鳥取の旅の写真は青い空のものが多いのですが、この日は土砂降りの雨が降った時もありましたし、山越えの道では白く積もった雪も見ました。
いつものことながら、旅の神様のご加護のお陰で雨に濡れることもなく旅を終えることができました。戻ってから、気付いたのは『まわる映写機 めぐる人生』に登場する京都「志賀郷」から「出石」も「豊岡」も近いのですね。
車の運転のできない私は全然この地域の距離感覚が掴めていませんでした。
出石町のシンボルと言ったら「辰鼓楼(しんころう)」だそうです。
時刻を知らせる太鼓を叩くために建てられた櫓。
「テレビドラマで見たことがあるでしょう。必ず、この櫓の近くを歩いたりするんですよ」と、「とっとりフィルムコミッション」でも活躍されていた清水さんが笑顔で説明してくれました。
「出石家老屋敷」です。
小京都と呼ばれる雰囲気のある町でした。
出石城跡や資料館、観光センターもあって、たくさんの観光客でにぎわっていました。
昔ながらの細い道と家並みに「出石皿そば」の店がたくさんありました。
「コウノトリ但馬空港」からも近いためか、海外から観光に来ている方も結構いらっしゃった。
きっと、関心を持つところが違うのでしょうね。
出石町を訪れた目的は「出石皿そば」ではなく 明治34年に開館した近畿最古の芝居小屋「永楽館」を訪ねることでした。
「観光センター」で場所を尋ねると、「すみません! 今日は貸切で中が見られないのです」と、とても申し訳なさそうでした。
確かに「貸切」の札が・・・
貼られていたポスターから畳敷きの館内の様子が少し分かりました。
愛媛県内子町の「内子座」のことを思い出しました。
「内子座」は『旅する映写機』に登場します!
「興行」の札が掛かっています。2008年に44年ぶりに甦ったそうです。
歌舞伎などの「興行」のない日は一般公開されています。
残念だったけれど、現役で使われていることが嬉しい!
受付に座っておられた男性もしきりに中に入れないことを詫びていました。
でも、伺うことができて本当に良かった!と思いました。
こういう場所で映画を見るのも良いのではないだろうかと夢が膨らみます。
鳥取の旅の写真は青い空のものが多いのですが、この日は土砂降りの雨が降った時もありましたし、山越えの道では白く積もった雪も見ました。
いつものことながら、旅の神様のご加護のお陰で雨に濡れることもなく旅を終えることができました。戻ってから、気付いたのは『まわる映写機 めぐる人生』に登場する京都「志賀郷」から「出石」も「豊岡」も近いのですね。
車の運転のできない私は全然この地域の距離感覚が掴めていませんでした。
豊岡劇場訪問記 [私の旅物語]
上映会の翌日は鳥取散策を少しして、夕方には帰ろうと考えていたのですが、鉄道地図を見ていて「豊岡劇場」のある「豊岡駅」まで2時間余りで行けることに気付きました。
即、帰りの飛行機を最終便に変更しました。
「豊岡劇場」です。
あの有名は「余部(あまるべ)鉄橋」を渡る鉄道の旅をするつもりだったのですが、なんと、「鳥取コミュニティシネマ」の清水さんがご案内くださることに!
昭和2年に芝居小屋としてスタートした「豊岡劇場」は通称「豊劇」と呼ばれていました。
社交ダンス場として使われたり、戦中は倉庫になり、戦後は映画館としてたくさんの人が映画を楽しんだ場所です。
2012年に一度閉館。2014年に再び町の文化の拠点に!とリノベーションが始まりました。
入口を入ると階段が!
そうそう、こういう劇場があったなぁ~と思いました。
横にはバーカウンターが!
映画を見なくても寄れる場所、集まれる場所にしたいと、新しい試みをしています。
珈琲を飲みながら話し込む女性が二人。
見上げれば、映写機用大型リールを使った照明があったり、ワクワクする空間になっています。
大きなリール付きの映写機。
映写機を残したままDCPを入れてデジタル化をしています。
映写機はほとんど使っていないそうです。
映写窓から覗いた186席の大ホール。
舞台もあります。
日本海が近く寒いところなのでコタツ席が設けられていました。
こちらが50人定員の小ホール。
映画上映のみならず、色々なイベントに使ってほしい! ワークショップなどにも活用してほしいと考えておられるそうです。
ビロードの椅子!
そうそう、こういう赤いビロードの席に坐った記憶が・・・。
そして、なんとお向かいの空き家を使った活動も始めたそうです。
こちらは貸しスペースとして、上映は月に4日までだそうです。
土間だったスペースには椅子を並べています。
畳にはコタツ席を設けています。まだ動き始めたばかりの試みだそうですが、これから楽しいことが始まりそうな気配を感じました。
一度閉館しているので、新たなスタートを切っていることを知って貰って、まずは訪ねてほしいとそうです。
上映の隙間の時間に映写室やホールなどをご案内いただきました。ありがとうございました!
次回、お尋ねした時は映画を見たいと思っています。
豊岡劇場の公式サイトはこちら → http://toyogeki.jp/
即、帰りの飛行機を最終便に変更しました。
「豊岡劇場」です。
あの有名は「余部(あまるべ)鉄橋」を渡る鉄道の旅をするつもりだったのですが、なんと、「鳥取コミュニティシネマ」の清水さんがご案内くださることに!
昭和2年に芝居小屋としてスタートした「豊岡劇場」は通称「豊劇」と呼ばれていました。
社交ダンス場として使われたり、戦中は倉庫になり、戦後は映画館としてたくさんの人が映画を楽しんだ場所です。
2012年に一度閉館。2014年に再び町の文化の拠点に!とリノベーションが始まりました。
入口を入ると階段が!
そうそう、こういう劇場があったなぁ~と思いました。
横にはバーカウンターが!
映画を見なくても寄れる場所、集まれる場所にしたいと、新しい試みをしています。
珈琲を飲みながら話し込む女性が二人。
見上げれば、映写機用大型リールを使った照明があったり、ワクワクする空間になっています。
大きなリール付きの映写機。
映写機を残したままDCPを入れてデジタル化をしています。
映写機はほとんど使っていないそうです。
映写窓から覗いた186席の大ホール。
舞台もあります。
日本海が近く寒いところなのでコタツ席が設けられていました。
こちらが50人定員の小ホール。
映画上映のみならず、色々なイベントに使ってほしい! ワークショップなどにも活用してほしいと考えておられるそうです。
ビロードの椅子!
そうそう、こういう赤いビロードの席に坐った記憶が・・・。
そして、なんとお向かいの空き家を使った活動も始めたそうです。
こちらは貸しスペースとして、上映は月に4日までだそうです。
土間だったスペースには椅子を並べています。
畳にはコタツ席を設けています。まだ動き始めたばかりの試みだそうですが、これから楽しいことが始まりそうな気配を感じました。
一度閉館しているので、新たなスタートを切っていることを知って貰って、まずは訪ねてほしいとそうです。
上映の隙間の時間に映写室やホールなどをご案内いただきました。ありがとうございました!
次回、お尋ねした時は映画を見たいと思っています。
豊岡劇場の公式サイトはこちら → http://toyogeki.jp/
重要文化財「仁風閣」へ [私の旅物語]
上映会場となった「鳥取県立博物館」のすぐそばに国指定重要文化財「仁風閣(じんぷうかく)」があって、1回目の上映に立ち会った後、訪ねてみました。
フレンチ・ルネッサンス様式を基調とした白亜の木造瓦葺2階建ての建物です。
鳥取藩主池田家の居城跡に建っています。
建設されたのは明治40年。
玄関を入ってすぐの照明。
観覧料は大人150円。小・中・高校生・70歳以上は無料。
美しい螺旋階段。
今は強度の問題から利用できませんが、以前は普通に使っていたそうです。
螺旋階段を上から撮ってみました。
美しいカーブの階段です。
2階にある「御座所」
完成した年に、時の皇太子(のちの大正天皇)が山陰旅行をされた時の宿舎になったそうです。
寝室として使われた部屋は大理石のマントルピース付きの和室でした。
ベランダは天井も高く、見晴しも良く、鳥取市役所が見えました。
1階は展示室になっていて池田家ゆかりの品などが展示されていました。
庭では成人式の前撮りでしょうか、着物姿の女性がポーズを取っていました。
主催してくださった「鳥取コミュニティシネマ」の代表清水さんのお話では「参加者が少ない」とのことでしたが、12月の忙しい時期ですから仕方がりません。
前回の上映が終わった後、走り回って宣伝してくださいました。
それよりも、古くからの友人がご夫婦でいらしてくださったそうで良かった!と思いました。
上映会は参加者が多い方が良いのに決まっていますが、懐かしい再会や新しい出会いやつながりが生まれることもステキだと思っています。
ステキな上映会になりました。感謝!
フレンチ・ルネッサンス様式を基調とした白亜の木造瓦葺2階建ての建物です。
鳥取藩主池田家の居城跡に建っています。
建設されたのは明治40年。
玄関を入ってすぐの照明。
観覧料は大人150円。小・中・高校生・70歳以上は無料。
美しい螺旋階段。
今は強度の問題から利用できませんが、以前は普通に使っていたそうです。
螺旋階段を上から撮ってみました。
美しいカーブの階段です。
2階にある「御座所」
完成した年に、時の皇太子(のちの大正天皇)が山陰旅行をされた時の宿舎になったそうです。
寝室として使われた部屋は大理石のマントルピース付きの和室でした。
ベランダは天井も高く、見晴しも良く、鳥取市役所が見えました。
1階は展示室になっていて池田家ゆかりの品などが展示されていました。
庭では成人式の前撮りでしょうか、着物姿の女性がポーズを取っていました。
主催してくださった「鳥取コミュニティシネマ」の代表清水さんのお話では「参加者が少ない」とのことでしたが、12月の忙しい時期ですから仕方がりません。
前回の上映が終わった後、走り回って宣伝してくださいました。
それよりも、古くからの友人がご夫婦でいらしてくださったそうで良かった!と思いました。
上映会は参加者が多い方が良いのに決まっていますが、懐かしい再会や新しい出会いやつながりが生まれることもステキだと思っています。
ステキな上映会になりました。感謝!
鳥取美味日記 [私の旅物語]
どの方にとっても、旅の醍醐味の一つにその土地でしか味わうことのできないものを食するということがあると思います。
旅に出る前にあれこれ検索して準備を整える方も多いと思いますが、やはり地元の方の情報ほど確実なものはないでしょう。
今回の鳥取の旅の美味スタートは羽田空港の「アカシア」の「ロールキャベツ」でした。
ここの「ロールキャベツ」はクリーム煮なんです。
新宿「アルタ」の裏に古くからあるお店「アカシア」の「ロールキャベツ」は、私にとって青春の思い出の食べ物なのです。
一緒に頼んだのは「ポテトコロッケ」
本当は「カキフライ」が食べたかったのだけれど、5~6の盛り合わせの「カキフライ」を完食するのは無理だし、だからと言って「アカシア」で「ロールキャベツ」なしという選択はなかったのです。
鳥取最初の夜は、2017年に撮影で伺った時に2日連続でおじゃました「てんまり」へ。
「てんまり」は元の場所から1本道違いに引っ越しをされていました。
「鳥取駅」のすぐ近くの良いお店です。
鳥取名物の盛り合わせ。「ラッキョウ」 「イカの麹漬け」 「豆腐ちくわとアゴちくわ」 「西瓜の漬物(奈良漬みたいなもの)」 「ホタルイカの醤油漬け」(時計回りで紹介)。
お酒は「鳥取」の銘酒飲み比べセットを最初に頼みました。
もう一度頼めば、また違う鳥取の地酒を飲み比べることができます。
気に入った地酒が見つかったら、指定して注文できます。
お燗、常温、冷やと美味しい飲み方もアドバイスして貰えます。
海なし県から出掛けた私は「お刺身の盛り合わせ」をワクワクしながら頼みました。
次に頼んだ「鳥取名物盛り合わせ」の中で一番気にった「豆腐ちくわ」の単品。
豆腐のふわふわ感を残したまま白身魚で作る「ちくわ」です。
飛魚(通称アゴ)作られる「アゴちくわ」も有名です。
最終日にご案内いただいたのが「出石(いずし)皿そば」でした。
「出石(いずし)焼き」という焼き物の存在も知らず不勉強でした。
普通の陶器は土物(つちもの)と呼ばれ粘土から作られるのですが、「マイセン」などで知られる焼き物は「磁器土」と呼ばれる「石の粉」から作られます。
「出石焼き」も磁器土で作られ、白さが特徴の焼き物です。
その白いお皿に盛られて供されるのが「出石皿そば」」なのです。最初に出てきたのは5皿。
細目のシャキシャキしたそばは喉越しがよくて、つるりと食べられます。美味!
幾つになっても知らないことに気付かされるのは旅の醍醐味。「出石焼き」は全く知らなかったし、「出石皿そば」も全く知りませんでした。
ご案内くださった地元の方に感謝しかありません。
旅に出る前にあれこれ検索して準備を整える方も多いと思いますが、やはり地元の方の情報ほど確実なものはないでしょう。
今回の鳥取の旅の美味スタートは羽田空港の「アカシア」の「ロールキャベツ」でした。
ここの「ロールキャベツ」はクリーム煮なんです。
新宿「アルタ」の裏に古くからあるお店「アカシア」の「ロールキャベツ」は、私にとって青春の思い出の食べ物なのです。
一緒に頼んだのは「ポテトコロッケ」
本当は「カキフライ」が食べたかったのだけれど、5~6の盛り合わせの「カキフライ」を完食するのは無理だし、だからと言って「アカシア」で「ロールキャベツ」なしという選択はなかったのです。
鳥取最初の夜は、2017年に撮影で伺った時に2日連続でおじゃました「てんまり」へ。
「てんまり」は元の場所から1本道違いに引っ越しをされていました。
「鳥取駅」のすぐ近くの良いお店です。
鳥取名物の盛り合わせ。「ラッキョウ」 「イカの麹漬け」 「豆腐ちくわとアゴちくわ」 「西瓜の漬物(奈良漬みたいなもの)」 「ホタルイカの醤油漬け」(時計回りで紹介)。
お酒は「鳥取」の銘酒飲み比べセットを最初に頼みました。
もう一度頼めば、また違う鳥取の地酒を飲み比べることができます。
気に入った地酒が見つかったら、指定して注文できます。
お燗、常温、冷やと美味しい飲み方もアドバイスして貰えます。
海なし県から出掛けた私は「お刺身の盛り合わせ」をワクワクしながら頼みました。
次に頼んだ「鳥取名物盛り合わせ」の中で一番気にった「豆腐ちくわ」の単品。
豆腐のふわふわ感を残したまま白身魚で作る「ちくわ」です。
飛魚(通称アゴ)作られる「アゴちくわ」も有名です。
最終日にご案内いただいたのが「出石(いずし)皿そば」でした。
「出石(いずし)焼き」という焼き物の存在も知らず不勉強でした。
普通の陶器は土物(つちもの)と呼ばれ粘土から作られるのですが、「マイセン」などで知られる焼き物は「磁器土」と呼ばれる「石の粉」から作られます。
「出石焼き」も磁器土で作られ、白さが特徴の焼き物です。
その白いお皿に盛られて供されるのが「出石皿そば」」なのです。最初に出てきたのは5皿。
細目のシャキシャキしたそばは喉越しがよくて、つるりと食べられます。美味!
幾つになっても知らないことに気付かされるのは旅の醍醐味。「出石焼き」は全く知らなかったし、「出石皿そば」も全く知りませんでした。
ご案内くださった地元の方に感謝しかありません。
砂の美術館訪問記 [私の旅物語]
鳥取上映会は16日でしたが、朝10時からの上映前にトークというスケジュールだったので前日入りすることにしました。
ちょっとゆっくり家を出て、羽田空港の「アカシア」でロールキャベツを食べて出発しました。
東京は晴天で、きれいな景色を眺められました。
右側席だったので残念ながら富士山を見ることはできませんでしたが、美しい景色を楽しむことができました。
心配していた鳥取の天気は曇り。
3人の方がお迎えに来てくださっていて感激。撮影の時のことを思い出しました。
ほんのり日が射す時もある感じの天候で、翌日も雨が降りませんように!と祈りました。
「少し時間があるから・・・」と「砂の美術館」へご案内いただきました。
夏の山陰の旅では行くことができなかった場所です。
季節ごとにテーマが変わるそうで、展示されていたのは「北欧編」の砂像でした。
北欧の児童文学 『ニルスの不思議な旅』 をテーマにした作品。
北欧神話より「アイスランド女王への謁見」をテーマにした作品。
ロシアンの作家さんが5人、カナダの作家さんが4人、アメリカの方が4人、日本から参加している方1人など、各国から参加していました。
そして、この季節はクリスマスプレゼントとして「プロジェクションマッピング」が定期的に投影されるとのことで、10分ほど待って見学しました。ラッキー!
いよいよスタートです。
音と光が館内中に広がりました。
デジタル映像の可能性を見せられた感じで、明日の自主上映会のことが浮かびました。
これからの映画はどのようになってゆくのか・・・。
たくさんの人と一緒に映像を体験する楽しさを、自主上映会に繋げるのはなかなか難しい時代になってきました。
特に若者たちが映画館で映画を見ない。映画は好きだけれど自宅で一人で楽しむ人が増えてきています。『まわる映写機 めぐる人生』 に登場する映写技術者の荒島晃宏さんの言葉が、何度も何度も浮かんできました。
月曜日の深夜に戻りましたが、水曜日の試写に向けて作業をしていたのでブログの更新が滞りました。風邪などではありません。元気に働いています。
ちょっとゆっくり家を出て、羽田空港の「アカシア」でロールキャベツを食べて出発しました。
東京は晴天で、きれいな景色を眺められました。
右側席だったので残念ながら富士山を見ることはできませんでしたが、美しい景色を楽しむことができました。
心配していた鳥取の天気は曇り。
3人の方がお迎えに来てくださっていて感激。撮影の時のことを思い出しました。
ほんのり日が射す時もある感じの天候で、翌日も雨が降りませんように!と祈りました。
「少し時間があるから・・・」と「砂の美術館」へご案内いただきました。
夏の山陰の旅では行くことができなかった場所です。
季節ごとにテーマが変わるそうで、展示されていたのは「北欧編」の砂像でした。
北欧の児童文学 『ニルスの不思議な旅』 をテーマにした作品。
北欧神話より「アイスランド女王への謁見」をテーマにした作品。
ロシアンの作家さんが5人、カナダの作家さんが4人、アメリカの方が4人、日本から参加している方1人など、各国から参加していました。
そして、この季節はクリスマスプレゼントとして「プロジェクションマッピング」が定期的に投影されるとのことで、10分ほど待って見学しました。ラッキー!
いよいよスタートです。
音と光が館内中に広がりました。
デジタル映像の可能性を見せられた感じで、明日の自主上映会のことが浮かびました。
これからの映画はどのようになってゆくのか・・・。
たくさんの人と一緒に映像を体験する楽しさを、自主上映会に繋げるのはなかなか難しい時代になってきました。
特に若者たちが映画館で映画を見ない。映画は好きだけれど自宅で一人で楽しむ人が増えてきています。『まわる映写機 めぐる人生』 に登場する映写技術者の荒島晃宏さんの言葉が、何度も何度も浮かんできました。
月曜日の深夜に戻りましたが、水曜日の試写に向けて作業をしていたのでブログの更新が滞りました。風邪などではありません。元気に働いています。
紅葉の宝珠山立石寺へ [私の旅物語]
翌日は従兄甥が山形で暮らしているので、午前中仕事を休んで時間を作ってくれました。
運が良ければ会いたいと思っていたのですが、ホームステイ先まで迎えに来てくれて「山寺・宝珠山立石寺(ほうじゅさんりっしゃくじ)」に案内してくれました。
晴天で紅葉真っ盛りの土曜日ですから、たくさんの人で賑わっていました。
下の方に行列を作っている人が写っています。
登山口から石段を1000段上ると聞いて、ちょっと不安に!
登っても、登っても、石段が続いていました。
「根本中堂」「日枝神社」「念仏堂」を通って、「山門」へ。
そこから登りの石段が続いていました。
3分の2くらいまで登ったところからの眺め。
美しい紅葉をバックに海外からの観光客たちが盛んに写真を撮っています。
スマホの普及で写真を撮る人がぐ~んと増えましたね。
私もカメラを持って行かなかったのでスマホでパチパチ
小さな祠が「納経堂」です。
「記念殿」まで一気に登ったら息が切れて、喉がカラカラになりました。
従兄甥が気を使って、頂上ではなく「五大堂」までにしようと言ってくれました。
少し腰かけて休んでみましたが、頂上の「大仏殿」を諦めることにしました。
「五大堂」からの眺めです。
下の方は少しもやっていましたが、素晴らしい眺めでした。
突き出すように建っている「五大堂」から3方向を眺めることができます。
人びとの暮らしも感じられる眺めでした。
「五大堂」から降りることにして、少し下ったところで上を見上げると青い空と紅葉が見事でした。
思いがけず10数年ぶりに従兄甥に会うことができました。
彼が小学生の頃、私は高校生でした。
運が良ければ会いたいと思っていたのですが、ホームステイ先まで迎えに来てくれて「山寺・宝珠山立石寺(ほうじゅさんりっしゃくじ)」に案内してくれました。
晴天で紅葉真っ盛りの土曜日ですから、たくさんの人で賑わっていました。
下の方に行列を作っている人が写っています。
登山口から石段を1000段上ると聞いて、ちょっと不安に!
登っても、登っても、石段が続いていました。
「根本中堂」「日枝神社」「念仏堂」を通って、「山門」へ。
そこから登りの石段が続いていました。
3分の2くらいまで登ったところからの眺め。
美しい紅葉をバックに海外からの観光客たちが盛んに写真を撮っています。
スマホの普及で写真を撮る人がぐ~んと増えましたね。
私もカメラを持って行かなかったのでスマホでパチパチ
小さな祠が「納経堂」です。
「記念殿」まで一気に登ったら息が切れて、喉がカラカラになりました。
従兄甥が気を使って、頂上ではなく「五大堂」までにしようと言ってくれました。
少し腰かけて休んでみましたが、頂上の「大仏殿」を諦めることにしました。
「五大堂」からの眺めです。
下の方は少しもやっていましたが、素晴らしい眺めでした。
突き出すように建っている「五大堂」から3方向を眺めることができます。
人びとの暮らしも感じられる眺めでした。
「五大堂」から降りることにして、少し下ったところで上を見上げると青い空と紅葉が見事でした。
思いがけず10数年ぶりに従兄甥に会うことができました。
彼が小学生の頃、私は高校生でした。
安来清水寺と鳥取砂丘へ [私の旅物語]
夕方の飛行機で帰るので、「足立美術館」の後をどう過ごすかという話になりました。
「鳥取空港」から帰るのでやはり鳥取に向かって移動する方が良いだろうということになりました。
木造の「三重塔」がめずらしいと「サンライズ出雲」の車掌さんが案内をしていた「安来清水寺」へ行ってみることにしました。
自由に使える杖が置かれていたので、杖を使うのは難しいと聞いたので試すチャンスだと思って、短い杖を選んで杖を突きながら石段を登りました。
杖、反対側の足、杖側の足という順番で登ってみました。
石段の先に姿を現した「根本堂」
長い石段を登りながらすれ違う方(下ってきた方が)が、「こんにちは!」と挨拶をしてくださるのが、まるで山登りみたいと思いました。
中には「ご苦労さまです」と声を掛けてくださる方もおられました。
立派な「根本堂」です。
中に上がらせていただいてお参りしました。
「三重塔」は更に石段を登らなければなりません。
がんばって登りました。
木造の「三重塔」には長い時を経た風格を感じました。
石の上に柱が乗っているだけという部分もあり、そこが腐食していてもびくともしない。
日本建築の素晴らしさを目の当たりにしました。
鳥取在住の方に「高速道路は無料」と聞いていたのですが、確かに無料でした。
高速を走って「鳥取砂丘」へ。
息子は「想像していた砂丘と違う!」と言って感激していました。
四十数年前に来た時もラクダが居たので、ラクダを見つけて嬉しくなりました。
写真を撮るのも有料なので遠くから撮りました
遙か遠くにハンググライダーが見えました。
「砂丘」を上から見るのも楽しいでしょうね。
早めの夕食を取って、再び「砂丘」に戻ってみると、日が陰り始めていて光線が低くなって「砂丘」の表情が随分変わっていました。
行きは12時間近く掛かった「サンライズ出雲」の旅でしたが、帰りは1時間15分。飲み物を飲みえ終えたら着陸態勢に入り、あっという間に「羽田空港」に到着しました。
息子との二人旅は初めだったので記念の旅になりました。感謝!
「鳥取空港」から帰るのでやはり鳥取に向かって移動する方が良いだろうということになりました。
木造の「三重塔」がめずらしいと「サンライズ出雲」の車掌さんが案内をしていた「安来清水寺」へ行ってみることにしました。
自由に使える杖が置かれていたので、杖を使うのは難しいと聞いたので試すチャンスだと思って、短い杖を選んで杖を突きながら石段を登りました。
杖、反対側の足、杖側の足という順番で登ってみました。
石段の先に姿を現した「根本堂」
長い石段を登りながらすれ違う方(下ってきた方が)が、「こんにちは!」と挨拶をしてくださるのが、まるで山登りみたいと思いました。
中には「ご苦労さまです」と声を掛けてくださる方もおられました。
立派な「根本堂」です。
中に上がらせていただいてお参りしました。
「三重塔」は更に石段を登らなければなりません。
がんばって登りました。
木造の「三重塔」には長い時を経た風格を感じました。
石の上に柱が乗っているだけという部分もあり、そこが腐食していてもびくともしない。
日本建築の素晴らしさを目の当たりにしました。
鳥取在住の方に「高速道路は無料」と聞いていたのですが、確かに無料でした。
高速を走って「鳥取砂丘」へ。
息子は「想像していた砂丘と違う!」と言って感激していました。
四十数年前に来た時もラクダが居たので、ラクダを見つけて嬉しくなりました。
写真を撮るのも有料なので遠くから撮りました
遙か遠くにハンググライダーが見えました。
「砂丘」を上から見るのも楽しいでしょうね。
早めの夕食を取って、再び「砂丘」に戻ってみると、日が陰り始めていて光線が低くなって「砂丘」の表情が随分変わっていました。
行きは12時間近く掛かった「サンライズ出雲」の旅でしたが、帰りは1時間15分。飲み物を飲みえ終えたら着陸態勢に入り、あっという間に「羽田空港」に到着しました。
息子との二人旅は初めだったので記念の旅になりました。感謝!
お目当ての足立美術館へ [私の旅物語]
最初に旅行の話が出た時に、「どこへ行きたい?」と聞かれて答えたのが「足立美術館」でした。
数人の友人知人がツアーなどで行っていて「よかった~!」と言っていたのです。
米子のホテルから朝一番で出掛けたにも関わらず、駐車場には各地のナンバーを付けた車や観光バスがたくさん止まっていました。
圧倒的に年齢層が高かったのも特徴です。
ただ、館内が広く、時々庭などを楽しむスペースや喫茶室や茶室もあるので、たくさんの入館者が居る割には作品を見るのが窮屈ということはありませんでした。
作品は撮影禁止ですが、庭の撮影はOKでした。
庭の美しさで注目を浴びているだけあって、手入れの行き届いた庭です。
窓枠が額縁のようになるという庭のポイントがいくつかありました。
開催されていた企画展は「横山大観VS日本画の巨匠たち」
個人的には、大観の作品と1対1で並べて比べるのは・・・と思いました。
「足立美術館」は大観の作品を数多く所蔵しています。
時々、このように開放的に庭を鑑賞できるところがありました。
庭の作りや見せ方から、海外の方を特に意識して、今流に言えば「インスタ映え」を意識しているように感じました。
若い庭だからでしょうか、侘びとか寂とかにはちょっと遠い印象を持ちました。
障子を入れて撮ってみました。
障子なしだとこのようになります。
紅葉には早くて残念でしたが、四季それぞれの庭を楽しめると思いました。
パートナーズカード6000円は2年間有効だそうで、お近くの方にはお薦めですね。
「陶芸館」もあります。
大好きな北大路魯山人と河井寛次郎という陶芸の巨匠の作品が並んでいました。特に、河井寛次郎の作品は「日本民芸館」などで見ている作品とちょっと趣が違う作品がありました。
新館では「院展」を開催中で、大作、力作が並んでいました。
車がないと行けないと思って今回の旅で選んだのですが、JR安来駅から無料のシャトルバスが運行されています。
年中無休は旅行者にとってはありがたいですね。
数人の友人知人がツアーなどで行っていて「よかった~!」と言っていたのです。
米子のホテルから朝一番で出掛けたにも関わらず、駐車場には各地のナンバーを付けた車や観光バスがたくさん止まっていました。
圧倒的に年齢層が高かったのも特徴です。
ただ、館内が広く、時々庭などを楽しむスペースや喫茶室や茶室もあるので、たくさんの入館者が居る割には作品を見るのが窮屈ということはありませんでした。
作品は撮影禁止ですが、庭の撮影はOKでした。
庭の美しさで注目を浴びているだけあって、手入れの行き届いた庭です。
窓枠が額縁のようになるという庭のポイントがいくつかありました。
開催されていた企画展は「横山大観VS日本画の巨匠たち」
個人的には、大観の作品と1対1で並べて比べるのは・・・と思いました。
「足立美術館」は大観の作品を数多く所蔵しています。
時々、このように開放的に庭を鑑賞できるところがありました。
庭の作りや見せ方から、海外の方を特に意識して、今流に言えば「インスタ映え」を意識しているように感じました。
若い庭だからでしょうか、侘びとか寂とかにはちょっと遠い印象を持ちました。
障子を入れて撮ってみました。
障子なしだとこのようになります。
紅葉には早くて残念でしたが、四季それぞれの庭を楽しめると思いました。
パートナーズカード6000円は2年間有効だそうで、お近くの方にはお薦めですね。
「陶芸館」もあります。
大好きな北大路魯山人と河井寛次郎という陶芸の巨匠の作品が並んでいました。特に、河井寛次郎の作品は「日本民芸館」などで見ている作品とちょっと趣が違う作品がありました。
新館では「院展」を開催中で、大作、力作が並んでいました。
車がないと行けないと思って今回の旅で選んだのですが、JR安来駅から無料のシャトルバスが運行されています。
年中無休は旅行者にとってはありがたいですね。
美保神社へ [私の旅物語]
境港を楽しんだ後は、「由志園」に行くか、「美保神社」に行くか、迷って、海沿いの道を走って「美保神社」へ行く選択をしました。
えびす社の総本山「美保神社」です。
商売繁盛の他に、漁業・海運の神、田の虫除けの神なのだそうです。
立派な「注連縄」を見たばかりですが、今回は「紙垂」に興味津々!
我が家は母方の祖父が大工の棟梁だったこともあり神棚があります。
なので、年末になると私は「注連縄」の「紙垂(下がっている白い紙)」を折っています。
初めて見る「紙垂」です。
更に奥に下がっていた「紙垂」はこのような3段の形をしていました。
紙垂は、神聖な場所を示すものだとか、稲妻を表していて雷が落ちるところが豊作になると、確か宮沢賢治が書いていたように思います。
よく見ると、宮司さんが祝詞をあげていました。
声は聞こえず、微動だもしないので、しばらく気づきませんでした。
お参りを済ませて帰ろうとした時、太鼓の音が聞こえてきてクルリとからだを回転させました。
太鼓の音がリズム良く響き渡ります。
太鼓を叩き終えると、右側から神前を通って左側へ。
一礼をする宮司さん。
まだ若くて、背も高い!
そして、社務所に帰っていきました。
知識がないので目の前に起こったことを撮るだけでしたが、とても神聖な気持ちになりました。
鳥居近くの喫茶店で一休みして駐車場に戻ると、海鳥が「撮って!」とばかりに動かないので、写真を撮って米子のホテルに向かいしました。山陰の旅2日目終了です。
今日は月に一度の浅草ヨーガ勉強会でした。
いつもだと紅葉とスカイツリーが撮れるのですが、今年は色付いている葉がなく、柿の実が赤くなっているのと雀が日向ぼっこをしているのが秋の気配でした。
えびす社の総本山「美保神社」です。
商売繁盛の他に、漁業・海運の神、田の虫除けの神なのだそうです。
立派な「注連縄」を見たばかりですが、今回は「紙垂」に興味津々!
我が家は母方の祖父が大工の棟梁だったこともあり神棚があります。
なので、年末になると私は「注連縄」の「紙垂(下がっている白い紙)」を折っています。
初めて見る「紙垂」です。
更に奥に下がっていた「紙垂」はこのような3段の形をしていました。
紙垂は、神聖な場所を示すものだとか、稲妻を表していて雷が落ちるところが豊作になると、確か宮沢賢治が書いていたように思います。
よく見ると、宮司さんが祝詞をあげていました。
声は聞こえず、微動だもしないので、しばらく気づきませんでした。
お参りを済ませて帰ろうとした時、太鼓の音が聞こえてきてクルリとからだを回転させました。
太鼓の音がリズム良く響き渡ります。
太鼓を叩き終えると、右側から神前を通って左側へ。
一礼をする宮司さん。
まだ若くて、背も高い!
そして、社務所に帰っていきました。
知識がないので目の前に起こったことを撮るだけでしたが、とても神聖な気持ちになりました。
鳥居近くの喫茶店で一休みして駐車場に戻ると、海鳥が「撮って!」とばかりに動かないので、写真を撮って米子のホテルに向かいしました。山陰の旅2日目終了です。
今日は月に一度の浅草ヨーガ勉強会でした。
いつもだと紅葉とスカイツリーが撮れるのですが、今年は色付いている葉がなく、柿の実が赤くなっているのと雀が日向ぼっこをしているのが秋の気配でした。
水木しげる記念館とおさかなロード [私の旅物語]
いよいよ「水木しげる記念館」へ。
たくさんの方が入口付近にいらしたので外景の写真は撮れませんでした。
「境港駅」から歩き始めて「水木しげるロード」が途切れる辺りに建っています。
「水木しげる記念館」の入館料は700円でした。
お子さんが多いのかと思っていましたが、私も含めて大人が多かった
館内は撮影OKのところと撮影禁止のところがありました。
水木しげるさんがささ~と描いただろうと思われる大きな作品が出迎えてくれます。
幼い頃からの経歴が詳しく分かるようになっていて、日本の歴史の一端を見るようなところもあり、大変興味深い展示でした。
鬼太郎にお嫁さんがいたなんて知らなかった~!
それぞれのプロフィールを読んで、ビックリしたり、納得したり・・・。
ねずみ男にもいわくつきの結婚歴がありました。
妖怪のオブジェが並んでお出迎え!
照明が変わる度に雰囲気も変わります。
まるで一反木綿に乗っているような写真が撮れるコーナーがあったり、色々楽しめます。
県別の妖怪を紹介するパネルの前では多くの人が自分の出身県の妖怪を捜していました。
「水木しげるロード」の先に「おさかなロード」という港に続く道があったので散策しました。
海なし県人は港や船が大好きです(笑)
なかなかリアルな魚のオブジェが並んでいました。
「境港市観光案内図」を頼りに歩きました。
奥に写っているのが境水道大橋。
大きな橋で、美保関に続いています。この橋を渡って「美保神社」を目指しました。
今日は1月に開催される「失語症シンポジウム」用の撮影初日。
カメラと三脚を持って、埼京線のホームから都営地下鉄大江戸線のホームまで乗り換えのために移動しました。
深い深い地底に降りてゆくような大江戸線まで長い距離の移動で疲れた!
たくさんの方が入口付近にいらしたので外景の写真は撮れませんでした。
「境港駅」から歩き始めて「水木しげるロード」が途切れる辺りに建っています。
「水木しげる記念館」の入館料は700円でした。
お子さんが多いのかと思っていましたが、私も含めて大人が多かった
館内は撮影OKのところと撮影禁止のところがありました。
水木しげるさんがささ~と描いただろうと思われる大きな作品が出迎えてくれます。
幼い頃からの経歴が詳しく分かるようになっていて、日本の歴史の一端を見るようなところもあり、大変興味深い展示でした。
鬼太郎にお嫁さんがいたなんて知らなかった~!
それぞれのプロフィールを読んで、ビックリしたり、納得したり・・・。
ねずみ男にもいわくつきの結婚歴がありました。
妖怪のオブジェが並んでお出迎え!
照明が変わる度に雰囲気も変わります。
まるで一反木綿に乗っているような写真が撮れるコーナーがあったり、色々楽しめます。
県別の妖怪を紹介するパネルの前では多くの人が自分の出身県の妖怪を捜していました。
「水木しげるロード」の先に「おさかなロード」という港に続く道があったので散策しました。
海なし県人は港や船が大好きです(笑)
なかなかリアルな魚のオブジェが並んでいました。
「境港市観光案内図」を頼りに歩きました。
奥に写っているのが境水道大橋。
大きな橋で、美保関に続いています。この橋を渡って「美保神社」を目指しました。
今日は1月に開催される「失語症シンポジウム」用の撮影初日。
カメラと三脚を持って、埼京線のホームから都営地下鉄大江戸線のホームまで乗り換えのために移動しました。
深い深い地底に降りてゆくような大江戸線まで長い距離の移動で疲れた!
境港の水木しげるロード散策 [私の旅物語]
境港に到着して、まずは「水木しげる記念館」のある「水木しげるロード」へ。
近くに市営の「日の出駐車場」があったので、そこに車を止めて歩きました。
JRで行った場合は「境港駅」を出ると、そこが「水木しげるロード」です。
全長800メートルある「水木しげるロード」
両側に、たくさんの妖怪たちが並んでいます。
専用のスタンプ帳「妖怪ガイドブック」(1冊120円)に妖怪のスタンプを集めると、集めた数に応じてプレゼントがもらえるそうです。
妖怪にはそれぞれ説明もあって、それを読んで、大笑いしたり、頷いたり・・・。
暗証番号を聞かれても教えないように! など楽しい工夫がたくさんありました。
妖怪バスも走っていました。
歩き疲れたら休む場所もあります。
両側はお土産屋さんや食べ物屋さんが並んでいます。
もちろん、「目玉おやじ」と「鬼太郎」もいました。
そして、妖怪たちを修繕をしている方もおられました。
昼食で食べた「日替わり弁当」は800円。超満足!
「水木しげるロード」を散策する前に腹ごしらえに入ったのが「旬の漁師料理 和泉」でした。
ほんの少し奥まったところにありますが、ぷりぷりのお刺身で、海鮮丼を食べた息子も「超満足!」と言っていました。
しめ鯖を仕込んでいた料理人さんの手際の良いこと! 魚の新鮮なこと!
夜、魚尽くしでお酒が飲めたら・・・と思いました。
以前、乗車した「鬼太郎列車」のブログはこちら↓ 米子駅の0番線から出発します。
https://harunoumi.blog.so-net.ne.jp/2014-01-13
近くに市営の「日の出駐車場」があったので、そこに車を止めて歩きました。
JRで行った場合は「境港駅」を出ると、そこが「水木しげるロード」です。
全長800メートルある「水木しげるロード」
両側に、たくさんの妖怪たちが並んでいます。
専用のスタンプ帳「妖怪ガイドブック」(1冊120円)に妖怪のスタンプを集めると、集めた数に応じてプレゼントがもらえるそうです。
妖怪にはそれぞれ説明もあって、それを読んで、大笑いしたり、頷いたり・・・。
暗証番号を聞かれても教えないように! など楽しい工夫がたくさんありました。
妖怪バスも走っていました。
歩き疲れたら休む場所もあります。
両側はお土産屋さんや食べ物屋さんが並んでいます。
もちろん、「目玉おやじ」と「鬼太郎」もいました。
そして、妖怪たちを修繕をしている方もおられました。
昼食で食べた「日替わり弁当」は800円。超満足!
「水木しげるロード」を散策する前に腹ごしらえに入ったのが「旬の漁師料理 和泉」でした。
ほんの少し奥まったところにありますが、ぷりぷりのお刺身で、海鮮丼を食べた息子も「超満足!」と言っていました。
しめ鯖を仕込んでいた料理人さんの手際の良いこと! 魚の新鮮なこと!
夜、魚尽くしでお酒が飲めたら・・・と思いました。
以前、乗車した「鬼太郎列車」のブログはこちら↓ 米子駅の0番線から出発します。
https://harunoumi.blog.so-net.ne.jp/2014-01-13
松江の堀川めぐり [私の旅物語]
山陰の旅2日目は松江の「堀川めぐり」からスタートしました。
宍道湖の傍らの「松江一畑ホテル」に泊まったので、すぐ近くの「城山西駐車場」へ。
「ふれあい広場乗船場」から船に乗りました。
松江をめぐる「乗り合い小船」に乗ってみたいと思ったのです。
大人料金は1,230円。
一日乗車券なので、何度でも乗り降りできます。
乗船したのは「ふれあい広場乗船場」から。
橋の下がとても狭い橋が4つあって、その橋の下を通る時は全員前屈をしなければなりません。
前屈の得意な私は楽々前屈をしました
反響の良い橋の下では船頭さんが歌を披露してくれました。
船上から「松江城」が目に入り、「大手前広場乗船場」で降りて「松江城」を見学することにしました。
その手前に明治天皇の行在所として建てられた「興雲閣」という建物があり、無料で見学することができたので入ってみました。
明治天皇の巡行は実現しなかったそうですが、随所に細かい細工が施された立派な建物でした。
2階の大広間からベランダに突き出した小部屋。
「松江城」です。
「堀川めぐり」の乗車券を展示すると、670円の登閣料が530円になります。
お城の階段を登る度に、こんなに急な狭い階段を袴や着物でどうやって登ったのだろうと思います。個人的には、つま先立ちだったのではないかと想像しています。
「稲荷橋」のすぐ近くにある「小泉八雲記念館」です。
「松江城」から松江の景色を堪能した後、船には戻らず徒歩で「稲荷橋」に戻って、「小泉八雲記念館」へ向かいました。
ここでも、「堀川めぐり」の乗船券を見せると400円の入館料が320円になりました。
一人の作家を丁寧に紹介していて、とても興味深い記念館だと思いました。
昼食と午後からの観光をどうするか、結局、境港へ行ってみることにしました。
中海を走る道はとても気持ち良く景色も抜群でした。
そして、日本最大のコンクリート製の「江島大橋」を渡り、境港市を目指しました。
「江島大橋」の急勾配はすごくてビックリしました。
今日は息子のマンションのリフォームが予定より1日早く終わったので引き渡しに立ち会いました。
私が使っていた家具の大方は処分したので、部屋はガランとして全く異なった雰囲気になりました。マンションから運んだ荷物が今は私の暮らしている実家で片付けきれないままになっています。
宍道湖の傍らの「松江一畑ホテル」に泊まったので、すぐ近くの「城山西駐車場」へ。
「ふれあい広場乗船場」から船に乗りました。
松江をめぐる「乗り合い小船」に乗ってみたいと思ったのです。
大人料金は1,230円。
一日乗車券なので、何度でも乗り降りできます。
乗船したのは「ふれあい広場乗船場」から。
橋の下がとても狭い橋が4つあって、その橋の下を通る時は全員前屈をしなければなりません。
前屈の得意な私は楽々前屈をしました
反響の良い橋の下では船頭さんが歌を披露してくれました。
船上から「松江城」が目に入り、「大手前広場乗船場」で降りて「松江城」を見学することにしました。
その手前に明治天皇の行在所として建てられた「興雲閣」という建物があり、無料で見学することができたので入ってみました。
明治天皇の巡行は実現しなかったそうですが、随所に細かい細工が施された立派な建物でした。
2階の大広間からベランダに突き出した小部屋。
「松江城」です。
「堀川めぐり」の乗車券を展示すると、670円の登閣料が530円になります。
お城の階段を登る度に、こんなに急な狭い階段を袴や着物でどうやって登ったのだろうと思います。個人的には、つま先立ちだったのではないかと想像しています。
「稲荷橋」のすぐ近くにある「小泉八雲記念館」です。
「松江城」から松江の景色を堪能した後、船には戻らず徒歩で「稲荷橋」に戻って、「小泉八雲記念館」へ向かいました。
ここでも、「堀川めぐり」の乗船券を見せると400円の入館料が320円になりました。
一人の作家を丁寧に紹介していて、とても興味深い記念館だと思いました。
昼食と午後からの観光をどうするか、結局、境港へ行ってみることにしました。
中海を走る道はとても気持ち良く景色も抜群でした。
そして、日本最大のコンクリート製の「江島大橋」を渡り、境港市を目指しました。
「江島大橋」の急勾配はすごくてビックリしました。
今日は息子のマンションのリフォームが予定より1日早く終わったので引き渡しに立ち会いました。
私が使っていた家具の大方は処分したので、部屋はガランとして全く異なった雰囲気になりました。マンションから運んだ荷物が今は私の暮らしている実家で片付けきれないままになっています。
宍道湖自然館ゴビウスに寄り道 [私の旅物語]
日御碕の海岸から松江に向かいました。
少し時間があるので近くで寄れる場所を探して、汽水と淡水の水族館「島根県立宍道湖自然館ゴビウス」に寄ってみることにしました。
「ゴビウス」の入口。
「ゴビウス」というのはハゼなどの小さな魚を表すラテン語だそうです。
なので、いろいろな「ハゼ」の拘り水槽もありました。
悠々と流れる川、広大な湖、小川、池、水田と島根の水辺に暮らす生き物を紹介しています。
お腹の吸盤で水槽に貼り付いている魚。
すごく大きな「オオサンショウウオ」もいました。
「タナゴ」の一種でしょうか?
宍道湖と中海のそれぞれのジオラマがあったりして、小さいけれど、ゆっくり見られました。
小さなお子さんを連れで行くと、色々遊べる工夫がありました。
何故か魅かれる「クラゲ」もいました。
点々模様がかわいいクラゲ。
庭には朝の雨がまだ花びらに残っている「芙蓉」の花がきれいに咲いていました。
庭にも川が流れ、ジオラマがありしました。
「芙蓉」の葉を食べる幼虫。
ここだったら、大食漢の幼虫も思い切り食むことができますね。
慌ただしい旅の途中で花を見るとホッとします。
いよいよ最初の宿泊先「松江一畑ホテル」に向かいました。
今日は、大雨の時にシミができてしまった障子を、息子に手伝ってもらって貼ってみました。
祖母を手伝って子供の頃に私が障子貼りをした時は細長い障子紙でした。今は1枚貼りで大きなものを貼る方式なので一人で貼るのは難しいと思って、チャンスを待っていました。
試し貼りの2枚は何とか成功!
でも、我が家は障子だらけの家なので、2枚の真っ白な障子がやけに目立っています。
少し時間があるので近くで寄れる場所を探して、汽水と淡水の水族館「島根県立宍道湖自然館ゴビウス」に寄ってみることにしました。
「ゴビウス」の入口。
「ゴビウス」というのはハゼなどの小さな魚を表すラテン語だそうです。
なので、いろいろな「ハゼ」の拘り水槽もありました。
悠々と流れる川、広大な湖、小川、池、水田と島根の水辺に暮らす生き物を紹介しています。
お腹の吸盤で水槽に貼り付いている魚。
すごく大きな「オオサンショウウオ」もいました。
「タナゴ」の一種でしょうか?
宍道湖と中海のそれぞれのジオラマがあったりして、小さいけれど、ゆっくり見られました。
小さなお子さんを連れで行くと、色々遊べる工夫がありました。
何故か魅かれる「クラゲ」もいました。
点々模様がかわいいクラゲ。
庭には朝の雨がまだ花びらに残っている「芙蓉」の花がきれいに咲いていました。
庭にも川が流れ、ジオラマがありしました。
「芙蓉」の葉を食べる幼虫。
ここだったら、大食漢の幼虫も思い切り食むことができますね。
慌ただしい旅の途中で花を見るとホッとします。
いよいよ最初の宿泊先「松江一畑ホテル」に向かいました。
今日は、大雨の時にシミができてしまった障子を、息子に手伝ってもらって貼ってみました。
祖母を手伝って子供の頃に私が障子貼りをした時は細長い障子紙でした。今は1枚貼りで大きなものを貼る方式なので一人で貼るのは難しいと思って、チャンスを待っていました。
試し貼りの2枚は何とか成功!
でも、我が家は障子だらけの家なので、2枚の真っ白な障子がやけに目立っています。
日御碕へ [私の旅物語]
「出雲大社」の参拝が終わってもまだ時間に余裕があったので、「日御碕灯台」へ行ってみようか、という話になりました。
この頃には雨も止んで、晴れ女効果が続くことを祈りました。
最初に、「出雲大社」のすぐ脇、国譲り神話の神迎神事の舞台「稲佐の浜」へ向かいました。
「弁天島」という名も分からず、何かあるよ! みんな行っているよ! という感じで車を止めて浜に降りてみたのでした。
「弁天島」です。
その後、向かったのが「日御碕神社」
徳川家光の命により造営された朱塗りの権現造りで重要文化財に指定されています。
旅行に来られたことに感謝してお参りしました。
戻ってから分かったのですが、お参りする順番がありました。
それとは無関係に、レンタカー会社で貰った主な観光地の電話番号が記載されているマップを参考に、電話番号をカーナビに入力する旅でした。
せっかくだからと「日御碕灯台」を目指して海沿いのくねくねした道を走りましたが、慣れないレンタカーでくねくね道の運転は大変で、少し休憩することにしました。
小さな漁港。
釣り人も居て、とても静かな日本海です。
港から少し上に向かってぶらぶら散策すると地層が見えている所がありました。
「弁天島」に似ている地層。
全く知識はないけれど、地球を感じるというかワクワクしました。
そして気付いたのが、小さな島にある小さな鳥居らしきもの。
港町には漁師さんたちの無事を願う「波切不動尊」があったりするので、そういうものなのかもしれません。
小さな鳥居を確認しようと更に上に歩いてゆきました。
小さな鳥居と小さな祠。
昔の人たちは自然を恐れ、人間の力では及ばないものがあると感じていました。
今は人間が万物を支配しているような、人間は何でもできるような、そんな感覚になっているのか、恐れというようなものが段々小さくなっているように感じます。
「日御碕灯台」は諦めて、ここから松江の宿に向かって戻ることにしました。
無事に、新潟「柿崎」での 『まわる映写機 めぐる人生』 の上映が終わって戻ってきました。
柿崎でも日本海を見ながら温泉に入りました。感謝!
この頃には雨も止んで、晴れ女効果が続くことを祈りました。
最初に、「出雲大社」のすぐ脇、国譲り神話の神迎神事の舞台「稲佐の浜」へ向かいました。
「弁天島」という名も分からず、何かあるよ! みんな行っているよ! という感じで車を止めて浜に降りてみたのでした。
「弁天島」です。
その後、向かったのが「日御碕神社」
徳川家光の命により造営された朱塗りの権現造りで重要文化財に指定されています。
旅行に来られたことに感謝してお参りしました。
戻ってから分かったのですが、お参りする順番がありました。
それとは無関係に、レンタカー会社で貰った主な観光地の電話番号が記載されているマップを参考に、電話番号をカーナビに入力する旅でした。
せっかくだからと「日御碕灯台」を目指して海沿いのくねくねした道を走りましたが、慣れないレンタカーでくねくね道の運転は大変で、少し休憩することにしました。
小さな漁港。
釣り人も居て、とても静かな日本海です。
港から少し上に向かってぶらぶら散策すると地層が見えている所がありました。
「弁天島」に似ている地層。
全く知識はないけれど、地球を感じるというかワクワクしました。
そして気付いたのが、小さな島にある小さな鳥居らしきもの。
港町には漁師さんたちの無事を願う「波切不動尊」があったりするので、そういうものなのかもしれません。
小さな鳥居を確認しようと更に上に歩いてゆきました。
小さな鳥居と小さな祠。
昔の人たちは自然を恐れ、人間の力では及ばないものがあると感じていました。
今は人間が万物を支配しているような、人間は何でもできるような、そんな感覚になっているのか、恐れというようなものが段々小さくなっているように感じます。
「日御碕灯台」は諦めて、ここから松江の宿に向かって戻ることにしました。
無事に、新潟「柿崎」での 『まわる映写機 めぐる人生』 の上映が終わって戻ってきました。
柿崎でも日本海を見ながら温泉に入りました。感謝!
出雲大社前駅に寄り道 [私の旅物語]
宇迦橋の大鳥居から「神門通り」を本殿に向かって歩くと、右側に「一畑電気鉄道」の「出雲大社前駅」があります。
前回は「出雲市駅」で「一畑電車」に乗り換え、この駅に降り立ったように思います。
「出雲大社前駅」の名の通り、参道の真横に駅があります。
駅舎は国の「登録有形文化財」に指定されています。
駅舎の中はこのようにモダンな造り!
駅舎だけでも見る価値があります。
駅舎の横から電車が見えました。
奥に写っている青い車両が現在使われている車両。
手前のオレンジ色の車両は「デバニ50形・52号車両」
日本最古級の「一畑電車」オリジナル車両です。
映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男』の撮影に使われた車両で、中を自由に見学できることが分かって、大喜び!
運転席
計器類
手動扉
天井
誰も居ない座席に座っていると、なんだか不思議な気持ちになりました。
子供の頃に乗った電車はこのような感じだったのでしょうか?
明日から新潟へ出稼ぎに行ってきます お寺でヨーガをして、上映会のゲストも勤めてきます。
山陰の旅から戻ったばかりですが、同じキャリーバッグにヨガマットなどを詰め込んでいます。
再び、ブログの更新をお休みます。
戻ったら山陰の旅の報告を再開しますので、よろしくお願いいたします。
前回は「出雲市駅」で「一畑電車」に乗り換え、この駅に降り立ったように思います。
「出雲大社前駅」の名の通り、参道の真横に駅があります。
駅舎は国の「登録有形文化財」に指定されています。
駅舎の中はこのようにモダンな造り!
駅舎だけでも見る価値があります。
駅舎の横から電車が見えました。
奥に写っている青い車両が現在使われている車両。
手前のオレンジ色の車両は「デバニ50形・52号車両」
日本最古級の「一畑電車」オリジナル車両です。
映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男』の撮影に使われた車両で、中を自由に見学できることが分かって、大喜び!
運転席
計器類
手動扉
天井
誰も居ない座席に座っていると、なんだか不思議な気持ちになりました。
子供の頃に乗った電車はこのような感じだったのでしょうか?
明日から新潟へ出稼ぎに行ってきます お寺でヨーガをして、上映会のゲストも勤めてきます。
山陰の旅から戻ったばかりですが、同じキャリーバッグにヨガマットなどを詰め込んでいます。
再び、ブログの更新をお休みます。
戻ったら山陰の旅の報告を再開しますので、よろしくお願いいたします。
出雲大社へ [私の旅物語]
出雲市駅に到着してレンタカーを借りて、「最初は出雲大社でしょう」と「出雲大社」へ出かけました。
天気予報では雨は止むはずだったのですが、小雨がパラパラ。
晴れ女ですが念のために持ってきた折り畳みの傘が役に立ちました。
「出雲大社」の「ご本殿」です。
駐車場に車を止めて、どうせお参りするなら・・・ということで、「宇迦橋の大鳥居」まで歩いて戻り、そこからお参りをスタートしました。
大きな注連縄で有名な・・・と思ったのですが、ここではありませんでした。
立派なご本殿です。
「神楽殿」です。
ここが話題の大きな注連縄のある場所でした。
大きさを伝えたいと色々なアングルで注連縄を撮ってみましたが、そう思う人は多いようで、かがみこんだり、スマホの向きをあれこれ悩んだり・・・。
こうしてお参りできるのは健康に恵まれ、自身で歩けるからこそですね。感謝!
何気なく覗いたら挙式中でした。
お二人のこれからの人生が幸多いものになりますように!
「参拝作法」が写り込んでいますが、「出雲大社」では、2礼4拍手1礼。拍手の数をお間違えなく。
そして、10月は神無月ですが、ここ「出雲大社」では神有月です。
「サンライズ出雲」でお弁当を食べただけだったので、お参りする前に「神門通り」の「手打ち出雲そば」のお店「えにし」で「釜揚げ蕎麦」を食べました。
釜茹でした蕎麦湯と一緒に器に盛られていて、蕎麦は柔らかめ。右上の出し汁を好みの味に合わせて入れて食べます。一味違う美味しいお蕎麦でした。
今日は陶芸サークルの日で釉掛けに出掛けました。
次回は11月になってしまい、今年最後の本焼きになるのではないかと思います。
天気予報では雨は止むはずだったのですが、小雨がパラパラ。
晴れ女ですが念のために持ってきた折り畳みの傘が役に立ちました。
「出雲大社」の「ご本殿」です。
駐車場に車を止めて、どうせお参りするなら・・・ということで、「宇迦橋の大鳥居」まで歩いて戻り、そこからお参りをスタートしました。
大きな注連縄で有名な・・・と思ったのですが、ここではありませんでした。
立派なご本殿です。
「神楽殿」です。
ここが話題の大きな注連縄のある場所でした。
大きさを伝えたいと色々なアングルで注連縄を撮ってみましたが、そう思う人は多いようで、かがみこんだり、スマホの向きをあれこれ悩んだり・・・。
こうしてお参りできるのは健康に恵まれ、自身で歩けるからこそですね。感謝!
何気なく覗いたら挙式中でした。
お二人のこれからの人生が幸多いものになりますように!
「参拝作法」が写り込んでいますが、「出雲大社」では、2礼4拍手1礼。拍手の数をお間違えなく。
そして、10月は神無月ですが、ここ「出雲大社」では神有月です。
「サンライズ出雲」でお弁当を食べただけだったので、お参りする前に「神門通り」の「手打ち出雲そば」のお店「えにし」で「釜揚げ蕎麦」を食べました。
釜茹でした蕎麦湯と一緒に器に盛られていて、蕎麦は柔らかめ。右上の出し汁を好みの味に合わせて入れて食べます。一味違う美味しいお蕎麦でした。
今日は陶芸サークルの日で釉掛けに出掛けました。
次回は11月になってしまい、今年最後の本焼きになるのではないかと思います。
連結器切り離し [私の旅物語]
「サンライズ瀬戸」と「サンライズ出雲」の切り離しがあるのは 6:27 から。
6時に車内放送が開始になるので普通に目が覚めると思って就寝しましたが、ぐっすり寝るのは無理で5時頃からウトウトしていました。
6時を過ぎれば外は薄明かりになってきます。
息子は放送は聞こえたけれど再びウトウトしてしまったそうで、切り離しを見ることも、撮影することもできませんでした。
連結部分はこのようになっていました。
連結している部分を中からか確認してみたいと、7号車と8号車の連結部分に15分くらい前に行ってみました。
余裕があるつもりでしたが、すでに切り離しの準備に入っていました。
切り離しのアナウンスをする車掌さん。
振り返ると同時に「もう、ここは立ち入り禁止になります!」と言われて、8号車と9号車の連結部分に移動しました。
出発は少し遅れたのですが「岡山駅」到着は定刻通り。
数人の方と一緒に「岡山駅」到着と同時に連結部分に向かってホームを走りました。
ドアが開いて、作業員の方が「サンライズ瀬戸」側から「サンライズ出雲」側へ移動。
ドアが閉まっても、まだ繋がっている状態です。
しゃがみこんで撮影する私の隣は4歳くらいの息子さんを連れたお父さん。
連結部分に立たせて写真を撮ろうとするのですが、お子さんは眠そうに目をつぶったり、目をこすったり、からだをくねらせたり・・・。
でも、良い思い出になりますね。
いよいよ切り離しになりました!
作業員の方が連結部分にカバーをします。
その頃には、「サンライズ瀬戸をご利用の方はすぐに出発します。お乗り遅れのないように・・・」というアナウンスがあり、ホームを走る人が数人いました。
すぐに、「サンライズ瀬戸」は出発です。
電光掲示板を撮っている人が居たので、真似をして撮りました。
6時31分に「サンライズ瀬戸」出発。
6時34分に「サンライズ出雲」出発。
後でわかったことですが、「岡山駅」でお弁当を買い求めていた人も多かったようです。
同じ駅に到着しても、お弁当~! という人と、切り離し~! という人が一緒に乗っていたのだと思うだけで楽しくなりました。
特急「まいづる号」と「はしだて号」の連結の様子はこちらのブログで↓
https://harunoumi.blog.so-net.ne.jp/2014-12-25
6時に車内放送が開始になるので普通に目が覚めると思って就寝しましたが、ぐっすり寝るのは無理で5時頃からウトウトしていました。
6時を過ぎれば外は薄明かりになってきます。
息子は放送は聞こえたけれど再びウトウトしてしまったそうで、切り離しを見ることも、撮影することもできませんでした。
連結部分はこのようになっていました。
連結している部分を中からか確認してみたいと、7号車と8号車の連結部分に15分くらい前に行ってみました。
余裕があるつもりでしたが、すでに切り離しの準備に入っていました。
切り離しのアナウンスをする車掌さん。
振り返ると同時に「もう、ここは立ち入り禁止になります!」と言われて、8号車と9号車の連結部分に移動しました。
出発は少し遅れたのですが「岡山駅」到着は定刻通り。
数人の方と一緒に「岡山駅」到着と同時に連結部分に向かってホームを走りました。
ドアが開いて、作業員の方が「サンライズ瀬戸」側から「サンライズ出雲」側へ移動。
ドアが閉まっても、まだ繋がっている状態です。
しゃがみこんで撮影する私の隣は4歳くらいの息子さんを連れたお父さん。
連結部分に立たせて写真を撮ろうとするのですが、お子さんは眠そうに目をつぶったり、目をこすったり、からだをくねらせたり・・・。
でも、良い思い出になりますね。
いよいよ切り離しになりました!
作業員の方が連結部分にカバーをします。
その頃には、「サンライズ瀬戸をご利用の方はすぐに出発します。お乗り遅れのないように・・・」というアナウンスがあり、ホームを走る人が数人いました。
すぐに、「サンライズ瀬戸」は出発です。
電光掲示板を撮っている人が居たので、真似をして撮りました。
6時31分に「サンライズ瀬戸」出発。
6時34分に「サンライズ出雲」出発。
後でわかったことですが、「岡山駅」でお弁当を買い求めていた人も多かったようです。
同じ駅に到着しても、お弁当~! という人と、切り離し~! という人が一緒に乗っていたのだと思うだけで楽しくなりました。
特急「まいづる号」と「はしだて号」の連結の様子はこちらのブログで↓
https://harunoumi.blog.so-net.ne.jp/2014-12-25
サンライズ出雲に乗る [私の旅物語]
四十数年前に「ブルートレイン出雲」に乗りました。
今回の旅は息子のプレゼントで、JTBへ手配に出掛けた息子は「おかあさんは(寝台車で)大丈夫ですか?」と聞かれたそうで、「いえ、母の方が乗りたがっていて・・・」と答えたそうです
奥に見える小さな灯りが「サンライズ出雲」です。
ちょっと早めに自宅を出て夕食を済ませ、出発駅の「東京駅」へ移動しホームへも早めに出て、「どっちから電車が入って来るの?」と周りの人を観察。
出発方向から入線してきました。
入線してきた「サンライズ出雲」
22時出発です。
「サンライズ出雲」は「出雲市駅」へ。
繋がっている「サンライズ瀬戸」は「高松駅」へ。
「サンライズ出雲」の切符はなかなか入手しづらいとのことで、手に入って喜んでいたのは息子。
初めての寝台列車です。
今回乗るのは2階建ての列車。
座席には色々な種類があります。
AシングルDX、サンライズツイン、Bシングルのびのび、Bシングル、Bシングルツイン、Bソロ。
今回入手できたのは「Bシングル喫煙ルーム」
シャワー設備もありますが、すぐにシャワー券を買わないとダメだそうです。ラウンジもありますが、両側4人ずつくらいの狭いもので、基本的には部屋で過ごすことになります。
Bソロというのは雑魚寝のような形になりますが2席ずつ小さな仕切りがあって、上下に分かれ、通路側にカーテンが付いていました。
料金が安いので若い人には良いかもしれません。
四十数年前に私が体験したのはB寝台だと思います。3段向い合せでした。
6人がなんとなく親しくなり、親切にしていただいたことを覚えています。
階段を下りると、このように個室のドアが並んでいました。
備品は、毛布、枕、寝間着、ゴミ捨て用透明ビニール袋、スリッパ、ハンガー、紙コップ。
喫煙ルームだったため、灰皿も付いていました。
実際には煙草を吸う人は少ないようで、煙草の匂いは気になりませんでした。
鏡、コンセント有。内側から2重に鍵がかけられます。
キャリーバッグもベッドとドアの隙間に置くことができました。
出発してしばらくすると車掌さんが切符の確認に回ってきます。スイカを利用して入場したので、精算して貰いました。
FM‐NHKが聞こえるようになっていたのにはびっくりしました。
車内放送は11時ごろに最終の案内があってそれ以降はなくなり、6時に放送開始になります。
冷房が入っていましたが、すぐに閉じました。
外出する際には外から鍵が掛けられます。
4桁の数字をセットします。
あちこちへ出かけているようですが仕事なので、本当に久しぶりの旅です。
楽しい旅でありますように乾杯!
「出雲市駅」に到着するのは9:58なので、朝食用のお弁当を購入していきました。
「岡山駅」に到着する6:27~ 「サンライズ出雲」と「サンライズ瀬戸」の切り離しがあります。
切り離しの様子は次回に!
今回の旅は息子のプレゼントで、JTBへ手配に出掛けた息子は「おかあさんは(寝台車で)大丈夫ですか?」と聞かれたそうで、「いえ、母の方が乗りたがっていて・・・」と答えたそうです
奥に見える小さな灯りが「サンライズ出雲」です。
ちょっと早めに自宅を出て夕食を済ませ、出発駅の「東京駅」へ移動しホームへも早めに出て、「どっちから電車が入って来るの?」と周りの人を観察。
出発方向から入線してきました。
入線してきた「サンライズ出雲」
22時出発です。
「サンライズ出雲」は「出雲市駅」へ。
繋がっている「サンライズ瀬戸」は「高松駅」へ。
「サンライズ出雲」の切符はなかなか入手しづらいとのことで、手に入って喜んでいたのは息子。
初めての寝台列車です。
今回乗るのは2階建ての列車。
座席には色々な種類があります。
AシングルDX、サンライズツイン、Bシングルのびのび、Bシングル、Bシングルツイン、Bソロ。
今回入手できたのは「Bシングル喫煙ルーム」
シャワー設備もありますが、すぐにシャワー券を買わないとダメだそうです。ラウンジもありますが、両側4人ずつくらいの狭いもので、基本的には部屋で過ごすことになります。
Bソロというのは雑魚寝のような形になりますが2席ずつ小さな仕切りがあって、上下に分かれ、通路側にカーテンが付いていました。
料金が安いので若い人には良いかもしれません。
四十数年前に私が体験したのはB寝台だと思います。3段向い合せでした。
6人がなんとなく親しくなり、親切にしていただいたことを覚えています。
階段を下りると、このように個室のドアが並んでいました。
備品は、毛布、枕、寝間着、ゴミ捨て用透明ビニール袋、スリッパ、ハンガー、紙コップ。
喫煙ルームだったため、灰皿も付いていました。
実際には煙草を吸う人は少ないようで、煙草の匂いは気になりませんでした。
鏡、コンセント有。内側から2重に鍵がかけられます。
キャリーバッグもベッドとドアの隙間に置くことができました。
出発してしばらくすると車掌さんが切符の確認に回ってきます。スイカを利用して入場したので、精算して貰いました。
FM‐NHKが聞こえるようになっていたのにはびっくりしました。
車内放送は11時ごろに最終の案内があってそれ以降はなくなり、6時に放送開始になります。
冷房が入っていましたが、すぐに閉じました。
外出する際には外から鍵が掛けられます。
4桁の数字をセットします。
あちこちへ出かけているようですが仕事なので、本当に久しぶりの旅です。
楽しい旅でありますように乾杯!
「出雲市駅」に到着するのは9:58なので、朝食用のお弁当を購入していきました。
「岡山駅」に到着する6:27~ 「サンライズ出雲」と「サンライズ瀬戸」の切り離しがあります。
切り離しの様子は次回に!