真如堂の涅槃の庭 [私の旅物語]
「真如堂」には「涅槃の庭」と名付けられた曽根三郎氏によって作庭された庭があります。
北(向かって左)を頭にしてお釈迦さまが入寂された姿、その周りを弟子や生類たちが囲んで嘆き悲しんでいる様子を、石組や白砂、植栽などで表現しています。
「真如堂」の「涅槃の庭」です。
確かに、頭、からだ、脚、足、という風に見えますね。
そして、周りの石たちが嘆き悲しむ弟子や生類たちに見えてきます。
生垣の向こうに見えるのは送り火で有名な「大文字山」などの東山。
庭に向かって坐っていると心がだんだん静まっていくように思いました。
北枕を嫌う方もおられますが、お釈迦さまが入寂された時と同じ向きですから嫌うことはないのではないかと思いました。
父が写仏した「涅槃の図」です。
見比べると感じがつかめると思います。
多くの弟子たちが、多くの生類たちが、集まり嘆き悲しんでいます。
これはかなり大きな作品なので、年に一度「花祭り」の頃に掛けるようにしています。
「涅槃の庭」で静かな時間を過ごした後、本堂に戻って「ガラスに寄って中を見てください」というような貼り紙の場所で、何気に見上げた時に浮き上がるように見えたお仏さま。
なんとも不思議な瞬間!
庇で光が遮られた故の一瞬の出来事だったようです。
下に写っているのは庭の様子。
「真如堂」にはそれはそれは大きな「大涅槃図」があり、毎年3月に公開されています。
元々私が「真如堂」を知ったきっかけは「宝物虫払い会」という行事を知って、たまたま当日の7月25日に京都へ出かける用事があって出掛け、そして、庭にある石碑を発見したのです。
それも不思議なご縁ですね。
北(向かって左)を頭にしてお釈迦さまが入寂された姿、その周りを弟子や生類たちが囲んで嘆き悲しんでいる様子を、石組や白砂、植栽などで表現しています。
「真如堂」の「涅槃の庭」です。
確かに、頭、からだ、脚、足、という風に見えますね。
そして、周りの石たちが嘆き悲しむ弟子や生類たちに見えてきます。
生垣の向こうに見えるのは送り火で有名な「大文字山」などの東山。
庭に向かって坐っていると心がだんだん静まっていくように思いました。
北枕を嫌う方もおられますが、お釈迦さまが入寂された時と同じ向きですから嫌うことはないのではないかと思いました。
父が写仏した「涅槃の図」です。
見比べると感じがつかめると思います。
多くの弟子たちが、多くの生類たちが、集まり嘆き悲しんでいます。
これはかなり大きな作品なので、年に一度「花祭り」の頃に掛けるようにしています。
「涅槃の庭」で静かな時間を過ごした後、本堂に戻って「ガラスに寄って中を見てください」というような貼り紙の場所で、何気に見上げた時に浮き上がるように見えたお仏さま。
なんとも不思議な瞬間!
庇で光が遮られた故の一瞬の出来事だったようです。
下に写っているのは庭の様子。
「真如堂」にはそれはそれは大きな「大涅槃図」があり、毎年3月に公開されています。
元々私が「真如堂」を知ったきっかけは「宝物虫払い会」という行事を知って、たまたま当日の7月25日に京都へ出かける用事があって出掛け、そして、庭にある石碑を発見したのです。
それも不思議なご縁ですね。
2017-02-08 19:36
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コメント(4)
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真如堂とは、とても懐かしいです♪
学生の頃は、学校からのんびり帰るときは、吉田神社から真如堂経由で家に戻っていました。三重塔を眺めながら、ベンチで読書(本当は昼寝)もしていました。
by えくりぷす (2017-02-09 09:33)
えくりぷすさん>なんと羨ましい環境で、育たれたのですね!
私は4回目の訪問だと思います。
三重塔の写真も撮りました。
向かい側に縁台のようなものもありました。
あそこで昼寝をしていたのかな?
by 森田惠子 (2017-02-09 20:18)
お父上のた「涅槃の図」、見事ですね。
釈迦入滅のさまは、「平家物語」冒頭文を読むときなどの関連エピソードに使います。
猫がいない理由なども、話のネタに使います。
by kazg (2017-02-10 06:00)
Kazgさん>お褒めを頂き、ありがとうございます!
父は定年を迎える少し前から写仏を習い始め、定年後は毎日同じ時間に机に向かい描いておりました。
それはそれはたくさん描いていて、手を付けられないままになっています。
by 森田惠子 (2017-02-10 17:56)