真如堂は日本映画初撮影地 [製作日誌]
2008年(平成20年)が映画誕生100年だったことから、京都市は昨日のブログに書いた「二条城撮影所跡」など映画に関する石碑をいろいろ建てたようです。
「真如堂」には「シネマトグラフ」を模した石碑が建てられています。
春は桜、夏は緑、秋は紅葉、冬は雪、と四季を楽しめる「真如堂」を訪ねたのは、ちょうど節分の日でした。この日は「日数心経(にすうしんぎょうえ)」といって、般若心経を1年分(365回)唱える勤行が行われていて、その声が響いていました。
これが「シネマトグラフ」を模した「真如堂」の石碑。
最初知識のない時は四角い箱みたいなカメラ?と思いました。
「シネマトグラフ」は撮影機(カメラ)であり投影機でもあったのです。
前回は撮れなかった碑文を撮ってきたので文字が読める大きさでアップします。
関心のある方は画像をクリックしてください。
「真如堂」の庭です。
昨日のブログで紹介した「二条城撮影所」が開設されたのは明治43年。「横田商会」の横田永之助(のちに日活社長)が開設しているのですが、以前から映画製作に乗り出していて、監督を任せたのが牧野省三。
その牧野省三が明治41年にこの「真如堂」で「本能寺合戦」の撮影をしているのです。庭で撮ったのか、お寺のどこかを使ったのか、は分かりませんが、自然光を頼りにぶっけ本番で撮って上手くいったということなのではないでしょうか・・・。
詳しいことはもうわからなくなっていますが、京都が映画と深いかかわりのある場所であることは確かで、調べ始めたら色々なことが分かってきそうです。
今日は陶芸サークルの日でした。先週、素焼きの窯詰めをしたので、今日は窯出しだったのです。うっかり忘れるところでした。
「真如堂」には「シネマトグラフ」を模した石碑が建てられています。
春は桜、夏は緑、秋は紅葉、冬は雪、と四季を楽しめる「真如堂」を訪ねたのは、ちょうど節分の日でした。この日は「日数心経(にすうしんぎょうえ)」といって、般若心経を1年分(365回)唱える勤行が行われていて、その声が響いていました。
これが「シネマトグラフ」を模した「真如堂」の石碑。
最初知識のない時は四角い箱みたいなカメラ?と思いました。
「シネマトグラフ」は撮影機(カメラ)であり投影機でもあったのです。
前回は撮れなかった碑文を撮ってきたので文字が読める大きさでアップします。
関心のある方は画像をクリックしてください。
「真如堂」の庭です。
昨日のブログで紹介した「二条城撮影所」が開設されたのは明治43年。「横田商会」の横田永之助(のちに日活社長)が開設しているのですが、以前から映画製作に乗り出していて、監督を任せたのが牧野省三。
その牧野省三が明治41年にこの「真如堂」で「本能寺合戦」の撮影をしているのです。庭で撮ったのか、お寺のどこかを使ったのか、は分かりませんが、自然光を頼りにぶっけ本番で撮って上手くいったということなのではないでしょうか・・・。
詳しいことはもうわからなくなっていますが、京都が映画と深いかかわりのある場所であることは確かで、調べ始めたら色々なことが分かってきそうです。
今日は陶芸サークルの日でした。先週、素焼きの窯詰めをしたので、今日は窯出しだったのです。うっかり忘れるところでした。
2017-02-07 21:27
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コメント(4)
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シネマトグラフは写真のような恰好をしていたのですね。
今、改めてリュミエール兄弟に感謝したいと思います。
by 粋田化石 (2017-02-07 22:46)
以前行ったBangkok郊外のタイ・フィルム博物館の前庭にも
同じシネマトグラフのモニュメントが
もっともあちらはタイ王国初の映画監督である
チュラロンコーン国王の弟君であるサンパサート殿下が
クランクを回してるのですが(^_^)
後ろの博物館でかつてナン・イープン(日本の皮革)と呼ばれてた
映画の歴史的展示を楽しみにしてたのですが生憎の休館(・・;)
展示も充実してきたようで次回が楽しみです。
by 私筆嘘 (2017-02-08 12:27)
粋田化石さん>映画はまさしく動く写真! 活動写真なのです。
原理はとても簡単なんです。
by 森田惠子 (2017-02-08 18:54)
私筆嘘さん>タイのフィルム博物館! 惹かれます!
休館日で残念でしたね。
でも、それはもう1回来てくださいねということかもしれません。
戦後、日本の映写機はアジアにたくさん輸出されていて、もしかしたら今でも現役の映写機があるかもしれません。
by 森田惠子 (2017-02-08 18:57)