二条城撮影所跡の石碑 [製作日誌]
京都の方と雑談をしていた時に「二条城の近くに撮影所跡の石碑がありますよ」と教えて頂いて、次回、京都を訪ねる時は行ってみたいと思っていました。
今回はヨーガ教師認定式に参加するというのが一番の目的だったのですが、経費節約のためにスチール写真を撮る計画も追加して前倒しで出掛けました。
今回も「二条城」の近くのホテルに宿泊。
前回訪ねた場所・真如堂・元立誠小学校・おもちゃ映画ミュージアムを訪ね、夜は再び、「元立誠小学校」に戻って「立誠シネマ」主催の「新春シネマ会」に参加しました。
素晴らしいイベントでした。このことは改めて書きます!
翌日朝、ホテルから徒歩で出掛けた「二条城撮影所跡」の石碑。
今はなんと学校になっているのです。
資料によると、規模は300坪。2間×4間の低い板敷の舞台をしつらえて、それを開閉自由の天幕で覆い、背景は書き割りだったそうです。
ここで、日本映画の父と言われている牧野省三が、尾上松之助とコンビを組み、最初の「忠臣蔵」を撮影したそうです。
教えて頂かなければ知る機会がなかった石碑。
訪ねることができ、しかも晴天に恵まれました。感謝!
そして、それは学校になっていて、その広さを実感でき、石碑の奥は校庭で生徒たちの元気な声がひびいていたことが心に残りました。
今回はヨーガ教師認定式に参加するというのが一番の目的だったのですが、経費節約のためにスチール写真を撮る計画も追加して前倒しで出掛けました。
今回も「二条城」の近くのホテルに宿泊。
前回訪ねた場所・真如堂・元立誠小学校・おもちゃ映画ミュージアムを訪ね、夜は再び、「元立誠小学校」に戻って「立誠シネマ」主催の「新春シネマ会」に参加しました。
素晴らしいイベントでした。このことは改めて書きます!
翌日朝、ホテルから徒歩で出掛けた「二条城撮影所跡」の石碑。
今はなんと学校になっているのです。
資料によると、規模は300坪。2間×4間の低い板敷の舞台をしつらえて、それを開閉自由の天幕で覆い、背景は書き割りだったそうです。
ここで、日本映画の父と言われている牧野省三が、尾上松之助とコンビを組み、最初の「忠臣蔵」を撮影したそうです。
教えて頂かなければ知る機会がなかった石碑。
訪ねることができ、しかも晴天に恵まれました。感謝!
そして、それは学校になっていて、その広さを実感でき、石碑の奥は校庭で生徒たちの元気な声がひびいていたことが心に残りました。
2017-02-06 10:39
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コメント(2)
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尾上松之助のことでしょうか?
目玉のマッチャンという言葉を聞いたことがあります
by 粋田化石 (2017-02-06 20:53)
粋田化石さん>そうです!
私も聞いただけですが、その目玉のマッチャンらしいです。
この当時はカメラは動かず人が動いたようです。
by 森田惠子 (2017-02-07 21:34)