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東日本大震災から2年   [小心翼翼]

2011年3月11日、私はヨーガのサークルが終って、お仲間と立ち話をしながら帰る準備をしていました。場所は古い公民館の3階ホール。お仲間と部屋の隅にあった長机の下に潜り込んで、揺れがおさまるのを抱き合いながら待ちました。
震度5弱の地震でさえ、一人でなくて良かった!としみじみ思うほど、不安なものでした。

あれから2年。家へ戻ってテレビに映し出される津波の被害を、ただただ、呆然と眺めていた記憶が生々しく残っています。当事者の皆さんは、停電などで、何日もテレビの情報を知らないままだったそうです。

066 津波の被害.jpg

2011年10月、「みやこシネマリーン」の巡回上映を撮影するために岩手県を訪れて見た風景は、あのテレビで見た風景と瓦礫がなくなっているだけで同じでした。何もない、誰もいない、景色は異様でした。
車から降りて、その地に立つこともできませんでした。玄関だったらしい、お風呂場だったらしい、そこには暮らしがあったはずと感じると、それ以上身動きが取れない感じでした。

もし、自分自身が、突然、身近な人を亡くし、家を流され、仕事を失ったら・・・。
放射能という目に見えない恐怖に晒され、今まで暮らしていた家を追われたら・・・。
そして、先の見えないまま時間が過ぎていったら・・・。
どうぞ、少しでも心が安らぐ時がありますように!と、お祈りします。

065 津波の高さ.jpg

「ここまで、津波がきたんだ! しっかり見ていって!」と言われた宮古の海鮮料理「無礼講」さん。
私の身長を遥かに超え2メートル近かったのではないでしょうか?

地元の方も飲んでいて満席状態でしたが、お客さんが席を詰めて座らせてくださいました。
「たくさん食べて、たくさん飲んでいって!」

067 お通し.jpg

出してくださった“お通し”が蟹だったのにはびっくりしました。

068 刺身の盛り合わせ.jpg

何を頼もうか迷っていたお刺身。
「盛り合わせ一人前でいいんじゃない」と、出てきたのがこちら!
2人で食べても十分でした。

私の背よりはるか上まで津波が押し寄せた店内はメチャクチャだったことでしょう。商売人の方は強いですね。店を復活させて、元気にご商売をされていました。
でも、お店のご主人がポツリとおっしゃった「(震災で)考え方、変わったよ」ということばが、心に残っています。
「だって、一瞬にしてなにもかもなくなるんだから・・・」

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