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2日間続けての撮影    [製作日誌]

小さな港町で90年以上続いている映画館 「大黒座」 を核にして製作した作品が 『小さな町の小さな映画館』 
その撮影中にお聞きした話をきっかけに撮影をスタートさせた 『旅する映写機』
今回は 『旅する映写機』 を観に来てくださった映写技師さんのお話がきっかけです。

079  鈴木文夫.jpg

23日にインタビュー撮影をさせて頂いたのは、長年移動映写をされてきた鈴木文夫さん。映写技師として初めて芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した大御所。
これまでもたくさんの取材を受けておられ、いろいろなメディアで取り上げられてきた方。
余計なことを考えずに、順を追ってお話をお聞きしようとご自宅へ伺いました。

鈴木さんの映画との関わりは父の代から始まります。叔父さんが映写機メーカー 「オールキネマ社」 を経営していて、父親がそこで働くことになり、自宅から近かった 「オールキネマ社」 の試写室で幼い頃から映画を観たのが始まりです。

叔父や父親が映写機製作に関わっていたのは戦前の話。どんどん会社が大きくなり、故郷からたくさんの人を採用して、オリジナルの映写機を開発したりしていたそうです。
戦争中は戦意高揚のための上映や、中国などでの慰問上映などもあったとのこと。鈴木さんのお話はそのまま日本の映画史であり、時代によって映画がどういう役割を果たしていったのかが分かる貴重なものでした。
映画が誕生して120年、その120年の中の60年くらいを映写技師として関わってきたことになります。そして、大変革期の今、映画を観た後に語り合う時間の楽しさ豊かさに触れてくださり、作品の方向が見えたように感じました。

24日は、著書 「映画館のまわし者」 で劇場での映写に関して、その熱い思いを著わしておられる荒島晃宏さんのフィルム上映を撮影させていただきました。
1月にインタビュー撮影をさせて頂いています。小さなハプニングが起こり、ちょっと慌てた様子の荒島さんも撮れました。実際に慌てたように写っているかはまた別の問題!
「いつもと音が違うなぁ~と思っていたのですよ」 とのこと。
「いやぁ~、映写は本当に一期一会。二度と同じ映写はありません」 という名言も記録。
映画の神様が応援してくれているのかなと思う2日間の撮影でした。

鈴木文夫さんは78歳。会社は息子さんが継いでいて、この頃は上映することもないとのことでしたが、次回は鈴木さんの映写か、機材の点検などをしているところを撮影させて頂きたいと思っています。

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