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教会に映写室があった!    [製作日誌]

『旅する映写機』 の上映に 「昔、映写技師をしていました」 とおっしゃってわざわざ出かけてくださった方がおられたことをきっかけに映写技師さんのインタビュー撮影を少しずつしています。
そういう中で、偶然知った教会の映写機! 
想像もしていなかったことなので興味津々で撮影に伺いました。

030 本郷中央教会.jpg

昭和3年に建設された 「本郷中央教会」 です。
礼拝堂が2階。スクリーンや幕、照明用フットライトの跡も残っていました。
映写室は3階にありました。
映写機は戦争中に供出されてなくなってしまっています。
と言っても、当時のことをご存知の方はもうおられないので、古い資料から事実を探し当てるか、その先は想像しかないのが現実です。

明治23年に建設された前の教会は 「中央会堂」 と呼ばれていたそうです。
当時、たくさん人の集まれる場所はなく礼拝堂でいろいろな集まりがあったようです。
今日、伺ったお話では 「日本映画が一番最初に上映された場所でもある」 そうです。
歌舞伎座が一番最初とされていたのを、研究者の方が当時の新聞を調べていて、少し前に同じ作品 (芸者さんが手踊りをしているもの) を 「中央会堂」 で上映した事実を見つけ、一番最初に日本映画を上映した場所となったそうです。

当時は無声映画なのでオルガンの生伴奏付きで上映をしていたそうです。
無声映画といえば弁士に楽隊を思い浮かべると思いますが、映画が誕生して40年ほどは音楽の生伴奏と共に上映されていたそうです。
当時使われていたオルガンも残っていて演奏もしてくださったので撮影してきました。
そして、屋上の倉庫のような場所に小さな映写機 (高密工業製) が残っていて感動の対面をしてきました。自宅に戻って調べてみると、「ローヤル ベビー」 という昭和初期に製造された35ミリの手回し映写機だったことが分かりました。感動!

教会でのオルガン演奏付き映画上映は独特の雰囲気があったに違いありません。
布教のために一役買ったのか? 
戦前の日本で、そのような形で映画が観られていたなんて! と心がザワザワする撮影でした。

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コメント 6

れもん

教会で映画上映とはいろいろに使用されていたのですね。布教目的があったにしてもオルガン演奏付きとは素敵だったでしょうね。
by れもん (2015-01-29 20:42) 

sig

こんばんは。
前にも「本郷中央協会は日本映画が一番最初に上映された場所」とありましたが、私も手元の資料から、森田さん同様、M32(1899)7月の明治座、木挽町歌舞伎座あたりではないかと思っていたのですが・・・。ただし、未確認として「本郷中央会堂」でM32年6月という記載があり、このことではないでしょうか。つまり、本郷中央協会の前身です。いずれにしても昭和3年では遅すぎます。ぜひご確認を。また、立誠小学校もそういっているようですね。笑

by sig (2015-01-29 22:00) 

森田惠子

檸檬さん>教会で映画上映なんて想像もしていなかったのでびっくりの連続でした!
そして、オルガンの音が教会にはぴったりでした。
by 森田惠子 (2015-01-30 09:20) 

森田惠子

sigさん>現在の建物の建設が昭和3年です。
書き方が悪くて済みません!
関東大震災で焼失した、この前の建物で日本映画初上映場所されました。1ヶ月の違いですが、当時の新聞で確認できて、「中央会堂」が最初とされいるそうです。
表記を少し変更します<(_ _)>
by 森田惠子 (2015-01-30 09:24) 

馬爺

弁士が語り音楽は生演奏どんな映画が上映されていたんでしょうね、時代劇なら見た事がありますね、無声映画でしたがね。
by 馬爺 (2015-01-30 18:10) 

森田惠子

馬爺さん>どんな作品が上映されたのか、資料が残っていないのでわからないのです。
昨年12月に私が「本郷中央教会」で観たのは、1930年ドイツ映画 『日曜日の人々』 でした。
ベルリンで働く人々の日曜日を過ごす姿を写したもので、なんと脚本はビリー・ワイルダー。素人が演じたとか・・・。
残念ながらDVD上映でした。
by 森田惠子 (2015-01-30 18:32) 

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