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沖縄復帰40年   [小心翼翼]

息子たちが保育園に通っていた頃、親しくなったママ友の一人は沖縄出身の方でした。彼女は、「お父さん(夫)を追いかけて(東京へ)出てきた」と笑っていたけれど、ご主人が東京へ来る時はパスポートが必要だったというから、40年以上前のことだったのですね。

「定年になったら、二人して沖縄に帰りたい」と言っていた彼女。もう少しでご主人も定年を迎えるのかしら・・・。

229 ディゴ.jpg

2008年に次男を訪ねて沖縄へ行った時に撮ったもの。
沖縄の街路樹だから、これが「ディゴ」と思ったのですが、どうも、違うらしい・・・。

バスに乗って那覇市内から少し出ると柵を巡らせた基地があったことを鮮明に覚えています。私の母は、次男が沖縄に行くと言い出した時、「基地があるから心配だ」と言ったことを思い出します。戦争体験者の母にとってはそういう感覚があったのでしょうが、私は柵と爆音を体験するまで、そういう気持ちに欠けていました。

228 ディゴ.jpg

一昨日、テレビで沖縄復帰40年に関する番組を放送していて、聞き覚えのある歌声が流れてびっくり! 知念良吉さんの「オキナワンボーイ」でした。

「べてるの家」のメンバーのライブを開催する時に、応援してくださったのは2005年のこと。懐かしくなって、朝から知念さんのCDをかけていたら、なんと、知念さんから電話が掛かってきました!
しかも、私は27日から沖縄へ行くことになっていて、久しぶりに再会できるかもしれません。それにしても、不思議! 不思議! 不思議なご縁!

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れもん

沖縄に行ったのは30年も前ですが、住宅密集地とそれに比較して遥かに広い米軍基地や、地上に電柱は一本もなくそれは広い道路がいざというときは米軍の滑走路になるからとバスでもタクシーでも説明されました。沖縄の人の悔しさを忘れてはいけないなとおもっています。
by れもん (2012-05-16 21:23) 

森田惠子

知念さんの歌も、改めて聞くと、恋人とイメージしていたものが、本土にも当てはまって・・・。
思いを共有することは難しくとも、心を寄せることはできるかな・・・。

by 森田惠子 (2012-05-16 22:14) 

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