シネコンでドキュメンタリー映画を見る! [私の映画観]
昨日は機材を届けに出かけたついでに、「MOVIXさいたま」で『エンディングノート』というドキュメンタリー映画を見ました。シネコンに掛けてもらえるなんて、なんと幸運な作品! プロデューサーが是枝裕和ですもんねぇ~。12もスクリーンのあるシネコンにびっくり!
私は小心者だから、自分の作品の悪口なんで言われたら、相当落ち込むと思うけれど、あえて言わせていただきます。
『エンディングノート』では、進行性癌に侵された父の最期を娘が撮っているのですが、「発見時にはすでに手術が不可能な状態でございました」という父に成り代わって娘が読むナレーションはどうしてもしっくりしませんでした。娘が、撮影・監督した作品なら、娘が自分の言葉でナレーションを読めばよいのに・・・。
そして、いよいよ・・・という時に「二人きりにして」という母の言葉に、カメラをそのままにして撮影が続行されたのにも、それはしちゃいけないんじゃない、と思いました。
撮れないことは多々あるし、撮ってはいけない時もある。それがドキュメンタリーじゃないのかな?
後で粘ればよかったのに・・・という反省ばかりが多い私もダメだけれど。
一つ一つ花を咲かせている地植えの「キバナノツキヌキホトトギス」。
葉が痛んで枯れてしまって残念だけれど、黄色い花がとても目立ちます。鉢植えも次々と咲いています。朝の水遣りも花の数がどんどん多くなるので楽しみです。
今日は月に一度の浅草でのヨーガ勉強会。予習もせずに参加してきました。
私は小心者だから、自分の作品の悪口なんで言われたら、相当落ち込むと思うけれど、あえて言わせていただきます。
『エンディングノート』では、進行性癌に侵された父の最期を娘が撮っているのですが、「発見時にはすでに手術が不可能な状態でございました」という父に成り代わって娘が読むナレーションはどうしてもしっくりしませんでした。娘が、撮影・監督した作品なら、娘が自分の言葉でナレーションを読めばよいのに・・・。
そして、いよいよ・・・という時に「二人きりにして」という母の言葉に、カメラをそのままにして撮影が続行されたのにも、それはしちゃいけないんじゃない、と思いました。
撮れないことは多々あるし、撮ってはいけない時もある。それがドキュメンタリーじゃないのかな?
後で粘ればよかったのに・・・という反省ばかりが多い私もダメだけれど。
一つ一つ花を咲かせている地植えの「キバナノツキヌキホトトギス」。
葉が痛んで枯れてしまって残念だけれど、黄色い花がとても目立ちます。鉢植えも次々と咲いています。朝の水遣りも花の数がどんどん多くなるので楽しみです。
今日は月に一度の浅草でのヨーガ勉強会。予習もせずに参加してきました。
2011-10-28 19:57
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コメント(7)
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そうだったのですか。庭の植物たちを育てたお父さんが、今必死でガンバっているのですね。そういうドキュメントって、例えば小田実の病と闘うドキュメントをを見ましたが、本人がその気にならないと見ている方もかなり辛いなあ〜っと思いました。でも自分だったら残して欲しいかも・・・。それを自分の娘が撮るなら、最高に幸せかも知れません。
でも、その映画が完成しないことを祈っています。
by k-koyo (2011-10-28 22:26)
書き方が悪くて誤解をよんですみません!
進行性の癌の父を娘が撮っているというのは『エンディングノート』という作品のことです。
私の父は2005年の8月に旅立ちました。最後まで、母と娘二人のことをし気遣ってくれました。
by 森田惠子 (2011-10-29 09:59)
書き方が悪いのではなく、私の早とちりだったようで、恥ずかしいです。初めの4行をしっかり読んでいればと反省しています。
「撮れないことは多々あるし、撮ってはいけない時もある。」とありますが、カメラを回すって、素人が想像している以上に大変なのですね。場合によっては、直接撮らない方が、雄弁に表現できるというようなこともあるのでしょうか。
by k-koyo (2011-10-31 01:03)
個人的には映像って不思議な力があるなぁ~と思っています。
物は写っていないと見えないけれど、見えないもの(例えば人柄とか、場の雰囲気とか)は見事に写るますね・・・。
だからこそ被写体との関係が大切で、「撮ってもいいですよ~」という関係にならないと、カメラは回せないし、回しちゃいけないと、私は思っています。
by 森田惠子 (2011-10-31 14:58)
ご丁寧に私のコメントに付き合ってくれて申し訳ありません。今日たまたま朝日新聞の夕刊に、目に見えない「こころ」は、どうしたら記録できるのだろう・・・で始まる伊勢真一監督の「大丈夫。」に関する記事が載っていました。いつもならスルーしかねないのに、熱心に読んでしまいました。
その方法のひとつは、「時間」をかけることかも知れないとした上で、そうやって積み重ねられた映像は、声高な主張や情緒に流されることなく、子供たちに静かに寄り添っていくとあり、そうなのだと納得。「撮ってもいいですよ~」という関係づくりも、そんなふうに静かに寄り添うことでしか成立しないのかも知れないなどと思ったりしました。
by k-koyo (2011-10-31 21:40)
私も記事を読みました。伊勢監督の「大丈夫。」は見ました。
実は『小さな町の小さな映画館』の撮影では、最初、館主の奥さんである佳寿子さんに「撮られるのいや~!」と断られてしまい、「(尾道に居る)
長女は撮らないで~!」言われてしまいました。
結果は、佳寿子さんがOKしてくれるまで待ったのと、長女さんの撮影は諦めました。長女さんが撮れていたら、また違った作品になっていた気がしています。
by 森田惠子 (2011-11-01 11:01)
前の書き込みで、長女さんの撮影を諦めましたとかいていますが、母の佳寿子さんは「撮影することで子供の将来を決めてしまうようなことになるのを避けたい」とおっしゃったのです。
同じ母親として、この言葉は重いもので、私は撮らない選択をしたのです。
by 森田惠子 (2011-12-19 19:32)